窮民舎日記

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<<   作成日時 : 2012/01/08 09:46   >>

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<テント日誌 12/30(金)>
    年末〜年始のイベント始まる オールナイト映画鑑賞会
      ―― 経産省前テントひろば 111日目 ――

12月30日(金) 快晴 風が強い

「東電、経産省の仕事納めはなりません」の福島の女性たちののべ100名を超える抗議行動の翌日の早朝、女性テントは、ひとしきり、主の不在であるかのような「館」となっていた。
強い風がテントのキャンバスをはためかせ、記帳窓口を開けようという男テントをわずらわす。
いらいらしているスタッフのところへ、女性がキャンバスをかき分け、お顔をのぞかせて、「これ皆さんで、召しあがってください」とのこと。女性のテントの分はもうとってありますので、と白い発泡スチロールの箱には、一つ一つ透明なラップでくるんであるおにぎりの行列。触ると温かい。
女性テントでどの程度とられたのか、分かりませんが、こちらでも、30個ほどはあった。しょうゆ味に鮭肉がまぶされている。
ある先輩がこうおっしゃっていた。「このテントでは、食べ物の心配はいらないよ。じっと待っていれば、誰かが差し入れてくれるから…」こういうことか! 暫くして、女性が「鍋はどこで洗いましょう?」。大なべ3つ、パック3つほど、携えて、ふたりで公園に向かう。さすが、女性のお仕事は、丁寧かつ速い。
夕刻、 おとといさしいれてくれたたんぽぽ舎のSさんが鍋を回収しに来た。「よごれていてもよかったんだけどね、ポトフの次は、イタリア風のミネストローネ・スープにしてみようかな?」 とにかく間に合ってよかった! 火器使用禁止のテントでは、差し入れだけが、本格的食事だ。 
 
 午後、私用で2時間ほど開けて、テントへ帰ると、随分のにぎわい。反原発・年越しOccupy経産省前テント実行委員会主催の「こんなんじゃ、よい年迎えらんない99%のための祭り〜みんなでつくろう! 年末年始大生放送! の舞台づくりその他で、かいがいしい風情。
 ギャラリーも徐々に増えて、一昨日のテント前の抗議集会の勢いが蘇りそうだ。冷気もひとしおの4時過ぎ、新しいレイバーネットのネット生中継への出演者が来始めたが、なぜか、寒風に唇ひきむすぶかとおもいきや、ファイトが微笑を浮かべている。福島の人々への「救援」になんらかの助けになればという祈りと含羞と連帯感のほほえみはよいものだ。
 キャスター役の女性二人はリハーサルもふくめて6時間、寒風に耐え抜いて、唇も蒼ざめていたのはいたましいことではあった。
 
 そのあと、オールナイトの映画鑑賞会が開かれ、女子テントは江戸時代の歌舞伎場の様だった。ポルトガル、ブラジル、フィリッピン、オーストラリアなどの男女青年たちから、マスコミでは無理なパーソナル・オーラル・コミュニケーションによって、大切な情報をもらった。

 オールナイト映画上映会は、俊英、早川由美子監督の自作「ブライアンと仲間たち」から始まり、計5番組放映された。コマーシャリズムから自由な、新しいリアリズム、ドキュメンタリー作品が相次ぎ、新しい年を迎える予習としては、最高だった。
 早川監督の紹介してくれたブライアンさんは、今年6月亡くなられたそうです。国会議事堂前で、反戦・平和を訴えるためテント暮らしを続け、家族にも会いにゆかぬ闘争を敢行した。8年以上家にも帰らず、一日も休まず、英米政府のテロ撲滅戦争に抗議してきた男とその仲間のドキュメンタリー映画こそ、このテントで観たいものだった。
監督は最後まで、映像放映のお世話をしてくださった。テント座り込み111日めの告示は、この日、ポルトガルのアーティストが描いてくださった。
                      



<テント日誌 12/31(土)>
    テントひろばの盛り上がる熱気  様々な思いが交差する中、年は暮れていく  
          ―― 経産省前テントひろば 112日目 ――

12月31日(土)快晴。微風
  反原発・年越しOccupy@経産省テント実行委員会主催の「大生放送」のプログラムに、大きく影響される。午前中も昨日の映画祭の影響で、早朝帰宅のかたが去るまでは、熱気が消えない。いつもの座り込みのメンバーやスタッフがそろう頃には、大みそかのイヴェントの準備がまた始まる。寒中の「野」ざらしの中継の激務で、パートナーが倒れたとレ
イバーネットのMさんがブツブツ交換の敷物を準備しながら、ブツブツ……。

カンパの年越しそばをかたじけなくいただいてる頃、経産省の警備員が、ビデオスタッフを連れて、だまったまま蒼ざめたような風情で会場を横断する。
 『紅白歌合戦』は17時ころ開始。観戦しているところに、幹部のEさんが帰ってきた。国際結婚したお孫さんと会うのを日本で果たすことができなかった。イギリス人のおむこさんが、お孫さんの被ばくを警戒して、間の国で『正月祝い』とお孫さんとの邂逅をされることになった。
日本=被爆国がヴェトナム、ヨルダンなどへ「最高級の原発技術」を輸出し、憲法9条のある国が、南スーダンへ駐留軍を長期派遣する。事故報告もいい加減な政府関係者が、首相に「収束宣言」をさせる…。こうした二重基準の中で、福島の住民は、こどもは信ずるものは、自己自身のほかにはなくなる危機に追い込まれる。医師や学校の先生が、虚言を弄する時代! 

 受付に機動隊がひとり立ちふさがり、じっとこちらをねめつけている。ビニール扉をめくると、黙ったまま、カンパをいれてくれる。おそらく、郵貯の現金輸送車の警備スタッフだったのだ。
門松はとびきり立派だ。この門松も、若い御嬢さんのカンパだった。こうした支持の金東雲があるかぎり、この魔法のテントは限りなく飛ぶ。
 いよいよ、感動の歌合戦が終わってカウントダウンに入ったとき、不当雇用・解雇抗議の座り込みを工場でしている韓国自動車工場とアクセス。新年は韓国のソウルの労働者と連帯することに。F夫妻のまわりには、海外からのお客様が二人をとりかこんでいる。
 紅組最終は、椎名千栄子さんの「原爆許すまじ」、白組は、ジョニーさんの傑作替え歌集。
老若男女、ジョニーさんのギターひきがたりと国際的な映像交換とともに、バークレーの大学占拠からNYのウォールストリートへと歌いつがれた、「乗合電車」を大合唱する。合衆国だけで、340ほどの0ccupyテントがあったそうだ。いまは、増えているか、減っているか? 
 
 午前1時から4時まで、第二テントの外は、打楽器の嵐、中では、関電前座り込み、福島、寿、山谷、渋谷炊き出し隊とのUST上の情報交換(歌合戦のおりおり)の後での、トーク・セッションとなった。
 東電前アクションから、高橋幸子、テントから、椎名千恵子が出演。雨宮処凛、素人の乱の松本哉、青年ユニオン委員長、反貧困グループ、TVディレクターなどが、新年のゆくえを語り合った。
 2011年9月11日から建ち上がったこのテントは、世界情報の池への一石となり、国内外に波紋を広げている。角松の寄進は、このテントの支持層の多種多様さを物語ってあまりある。
福島の避難地域それは、冥土イン・Japanであり、原発の冥土の旅の一里塚となっていると
信じたい。カウント・ダウンのおり、社民党委員長の福島みずほさんが、SPなしで立ち現われ、マイクを差し出されて、再稼働許すまじの演説をされた。民衆の海のほかに、信ずべきものは、今ないと実感して、新しい年を迎えた。
                                         



<テント日誌 1/1(日)>
今年は正念場 しなやかな気持ちで新年を迎える
―― 経産省前テントひろば 113日目 ――

1月1日(日) 曇り
テントは昨日来のオールナイトの盛り上がりの余韻を残し、テント前は賑わい、炊き出しや新年アピール放映が行われている。
 椎名さんは福島の子ども達に話が及ぶと思わず目に涙が・・・。
 同時に、昨夜来の疲れもあって眠りこけている人も多い。
 今日も第3テントの皆様の炊き出しで、おいしいうどんや、暖かいコーヒーに座り込みの仲間の顔がほころびます。
交差点を行き交う乗用車、初もうでらしき人々、観光客風の外国の人々など、意外と交通量はあって、今朝の東京新聞を見たと言って訪ねてくる方も。(東京新聞の一面下のコラムに、テントひろばでの昨夜のオールナイトのイベントのことが記されていた。)
 私は、簡易着物を着こんで、2号テントの受付デスクを外に出してもらって、お抹茶をたてて、受付と呼びかけ、テントの中では椎名さんや、鎌倉デュオ、など、数名の方が大掃除。年末に届いた大量の飲料水や湯たんぽなどを整理し、テントの中に置かれた私物は各自引き取っていただきました。次々と届く差し入れで、華やいだ食卓となりました。
 お抹茶は、略式というよりも、2杯ずつ流れ作業で、淹れては紙コップに移し替えてお渡しする方式でちょうど良い塩梅の人出。意外と好評で、おかわりの声も。おだてられると、木に登る方なので続けようかとも。
 特筆すべきは、小学生の子どもを自転車に乗せた若いお母さんが、「子供の質問なのですが、どうして、デモをしないで皆さんは座っているの?」と尋ねていらっしゃって、話が弾みました。脱原発・デモが好意的に捉えられた上での疑問を携えての訪問ということに、私たちは確かな手ごたえを感じ取りました。
 連日通っていらっしゃる斎藤美智子さんが、嬉しそうにその母子を見送りながら、「毎日ずーっとデモでは身が持たない」とぽつり。ほんとうに、テントで交流しながら座り込み闘争ができることはありがたいことです。 
 2号テントには、脱原発お札が張り出されて、皆でその周りをあれこれと工夫して飾り立て、お賽銭箱も登場、○○ガミさんも登場して、テントの周囲は、正にありがたい雰囲気が漂っています。 
「東北のボランティアの帰りですが、ツイッターで見て、来たかった、名古屋に帰る途中で高速降りてきました」という青年が質素な作業服のポケットからお札をカンパ箱に。 また、いかにも下町っ子らしい作業着姿の親父さんは、「ほら コレッ」と東京新聞を差し出した後、ご祝儀袋にお札を入れてカンパ箱に。 
 マイクでお話をしていると、信号待ちの都バスの中から、年配の男性が手を振ってくれたり、乗用車の若者たちが車の窓から身を乗り出して興味深そうに見てくれるので、椎名さんがスマイリングサンシールを差し上げると喜んで下さったり、右翼も警察も妨害が無いまま3時までの生活時間展開は年初から大成功!




<テント日誌 1/2(月)>
     新年2日目も、テントひろばは賑わって
   ―― 経産省前テントひろば 114日目――

1月2日(火) 曇り後晴れ
 今日は風が強く、冷たい。とくに午後と夜には強風が舞う。そのたびにテントはバタバタとはためき、揺れるほどに。
 午前中は、さすがに31日、1日の疲れがあってか人も少なく、ひっそりと静まっていた。が、午後になると次々と人が集まり、相変わらずの賑わいに。

  この日は近くで一般参賀があり、その帰りに右翼の来襲が懸念されたが、罵詈雑言垂れ流しの小さめのワゴンが1台、足早に通り過ぎただけ。
 同じ一般参賀の帰り道の母子連れがテントに立ち寄り、訪問者名簿に記帳していく。


 昨日も5万円ものカンパをしていただいた方がおられたが、今日も3万円のカンパをして下さった方が。有り難く頂戴する。

 元旦に届いたテントへの年賀状50通ほどに目を通す。本当に全国各地から熱い想いが寄せられている。ここでまとめてお礼を申し上げておきたい。
 なかでも富山の方々からの賀状が多かったが、そういえばテントの前に、富山の北陸電力本社前でランチタイムアピール行動を続けておられる方々からの新年のメセージと、行動の写真が張り出してあった。経産省前テントはこのように全国の人々の行動と強く結ばれているのだと感じる。

 テントの前は、昨日に引き続いて、炊き出しあり、野点あり、そして囲碁大会に書き初めと賑わっている。
 とくに埼玉からきた16歳の高校生が、お札でカンパをした後、囲碁大会に参加し、何十歳も年上の囲碁自慢たちをなぎ倒し、ついに70代の腕自慢と頂上決戦の名人戦。なかなかの見応えある真剣勝負に。
また、三多摩方面から訪れたミュージシャンたちのライブに踊りの輪もできる、まるで大人の学園祭みたい状態。マリオさん、ボケ丸さん、寒い中有難う!
テントの中では、老若織りまぜて、原発問題での熱い議論がひとしきり続く。

椎名さんは、救援連絡センターを訪ねたり、渋谷の仲間たちの越冬闘争に合流して芝居を観たりと、寒い中をたくさん歩いた後、テントにご帰還。

強風が吹き付ける中、テントの夜は更けていく。今日の泊まり込み人員は多い。
                              


テント日誌 1/3(火)>
      全国から届けられた年賀状のご紹介
   ―― 経産省前テントひろば 115日目 ――

 「案ずるより産むが易すし」というがテント前広場の年末年始の特別態勢は成功裡の内にやり抜けた。12月29日から1月3日はそれぞれ忙しさに追われてテント広場も手薄になるのではないかと懸念したのだけれどそれは杞憂だった。
 この日誌でも報告されているように、多くの企画が持ち込まれそれぞれ盛会だったのである。
レーバーネットのみなさんが寒風に晒されながらネットの生中継をやっていただいたのも大きかった。テント前から大NHKに対抗して紅白歌合戦や「いく年くる年」などが行われるなんて以前なら想像できなかったことである。
 そうは言っても多くの皆さんが様々の形でこの期間を支えていただいたからこそ、事態はうまく行ったのであり、あらためて感謝をしたい。一人ひとりの力で支えあって維持されているテント広場であるが、それが発揮されたといえるのだろう。

 この期間を利用してテントを訪れるという人は多かったが、今日も仙台や愛知、あるいは横浜の人たちが来られた。仙台は東日本大震災で被災した地方であり、現在も復興や復旧に大変であるが、放射能汚染については新宿並みということで福島との落差を感じられているとのことだった。
 復旧が進むにつれて同じ被災地でも原発震災や放射能汚染をめぐる差異はでてくるのであろうが、どうしていいのか悩んでいるとのことだった。これは切実なことであるように思える。
 愛知の方は地方では運動が停滞しているという実感を持っておられるようであった。今年の反原発運動を暗示しているかも知れないと感じさせるようでもありこころに残った。

 12月27日の日誌で年賀状のお願いをしたのであるが、ちょっと遅すぎたかなというのがテント内の声だった。それでも現在、55通程頂いている。これらはほとんど12月27日以前に投函されたものと推定されるから今後もっと増えると思える。地方(首都圏以外)の方が半数以上であるが、少し紹介させていただく。
 「寒風の中に起つ皆さんの姿に勇気をもらって新しい年を迎えております。富山の雪空のなかでも″原発いらんちゃ″と北陸電力本社前で行動をいたしております。共に連帯のこころをお届けします」(富山のTさん)。
「日々御苦労さまです。私も自分の住んでいるところでできることをやっていこう、とテント広場でがんばっておられる方に励まされています。ありがとう?」(滋賀のMさん)。
 「新しい年がきました。私と息子は埼玉から岡山へ年末に疎開しました。部屋探しに行く日に、テント広場に寄りました。さむかったです〜。毛布を貸して頂きしばらく座りました。みなさん、体に気をつけてくださいね。私と息子(4才にしてデモ7回参戦です)も岡山で元気に脱原発に向けて頑張ります」(岡山のMさん)。4才の息子さんの元気な姿が印刷されていて、思わず心がなごんだ。
 「30年年賀状を書いたことありません。今日、そちらに伺い、急いでハガキを書きました。また、遊びに行きます。皆で共に歩いて行きましょう」(館山市のMさん)。30年ぶりの年賀状をありがとう。

 1月4日からはテントも通常(?)の態勢に戻る。そして、今年の決意をこめた餅つきがある。
拳を挙げての歌ではなく餅つきがテント広場の決意というのもいいと思う。美味しいお餅を想像したら明日の楽しくなった。                              (M/O)

今日は、夕刻から椎名さんを案内して、山谷の越冬闘争に参加する。
山谷に着いたのは、5時近く、配食を始める前の連絡のハンドマイクをお借りして挨拶をさせていただきました。橘がまず、福島弁で経産省前で原発をなくすためのテント闘争が展開されていること、デモやテントでの交流など、山谷の仲間たちとの共闘は、大変心強い、今年もよろしくお願いします。そういうお話をして椎名さんをご紹介。
 「野宿を強いられる人々の困難な生活、放射能の危険にさらされる福島の人々、共に状況は厳しいが国が弱者を切り捨てていくことを許さず、命を削ってでも立ち向かって闘って行きたい」という彼女の渾身のスピーチに山谷の仲間たちから拍手が沸き起こる。
昨夜の渋谷の越冬闘争とは打って変わり、人いきれがセンター前の路地一帯を圧倒するような寄せ場での炊き出しの雰囲気は独特のものがある。




<テント日誌 1/4(水)>
      脱原発新年餅つき大会は盛大に!
      誰もかも 心ひとつの テント前
   ―― 経産省前テントひろば 116日目――

1月4日(水) 晴れ 後曇り
今日は新年餅つき大会である。天気は晴れ、風もなく穏やかな陽気。
12時頃にはテント前はもうたくさんの人が集まっている。
第2テントの横に臼が置かれ、テント前には、つきあがった餅を丸めてあんこ、
きな粉、おろし、納豆をまぶして食べられるように、用意が調えられている。

餅米を蒸すのは公安の了解の下、日比谷公園で行うことに。が、公園事務所は許可せず、やむなく公園と歩道の境の空間で公安が見守る中、2人行ったそうだ。
ところが、30分もした頃、丸の内署の制服警官20名程が撤去!と叫びながら押し寄せ取り囲む。で、やむなく撤収。
取りあえず最初のぶんをテントに届けた後、急遽、テントの弁護対策をしていただいている弁護士さんの法律事務所に移動して、なんと法律事務所内で餅米蒸しをさせていただく。

予定の1時を少し過ぎたところでいよいよ餅つき開始。一斉に臼の前には黒山の人だかりが。
そしてつきあがると、この餅をもっての各省庁への挨拶回りの出陣式。
椎名さんが挨拶文を読み上げる。
経産省、財務省、文科省、外務省、農水省、厚労省の6つの省庁を4人が正装して回るも、各省庁はお餅の受け取りは拒否。挨拶文は受け取ったそうであるが。

そのあとは次々とつきあがってくるお餅をみんなでいただく。豚汁の炊き出しもあり。

ともかく、警察の介入や経産省の査察などもありつつも、無事、餅つき大会は大成功のうちに終わった。参加者は総数150名にも及ぶ程に。
その熱気が冷めやらぬうちに、川柳大会が行われ、乱鬼龍さんの選定により、標題の句が優秀賞を獲得。
   誰もかも 心ひとつの テント前

★テントひろばへの抱負、期待、要望、意見など、様々な思いを寄せて下さい。
 可能な限りテント日誌でご紹介します。またそれらを集めた「テントひろば通信」の 発行も考えています。
郵便なら〒100−0013東京都千代田区霞が関1−3−1経産省前テントひろば、 メールなら電子メール アドレス : tentohiroba@gmail.com  へ。 実名・ハンドルネーム・イニシアル・匿名なんでもありです。 地域名、年齢、性別は記入していただくとありがたいです。                       



<テント日誌 1/5(木)>
   年末〜年始の怒濤の日々が過ぎてひっそりと
   ―― 経産省前テントひろば 117日目 ――

1月5日(木) 晴れ。穏やかな一日。

 年末〜年始の怒濤の日々も昨日の餅つき大会をもってひとまず終え、今日のテントはひっそりと、ゆったりした時間が流れている。
 朝日新聞の特別報道部の記者が取材にくる。この記者氏が言うには、朝日は社説で脱原発を打ち出して以降、原発問題での取材は随分自由になり、関連記事も多くなったとのことである。
 読み手の側の評価はいろいろあるだろうが、現場記者の実感はこのようである。その実感がどのように紙面に表現されていくのか、見守りたい。

 そういえば、朝日は元旦の新聞のトップ記事で、原子力安全委員会の委員達が原発メーカーの三菱重工等から、5年間にわたって巨額の献金を受け取っていたことをスクープした。その1人が、「ストレステストに係わる意見聴取会」の司会進行役をしている岡本孝司東大教授である。しかも審査対象の多くは三菱重工製造の原子炉だという。阿部・山口を含めた3名までが利益相反者によって占められているそうだ。
この3名は即刻ストレス委員を辞任せよ!というのは至極当然のことであろう。
意見聴取会は1月6日にも開催される。
                                 ( Y・T )
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
新年餅つき大会のレポートが、当日の責任者の方から届いているので、昨日の報告と重複するところもあるが、より真に迫っているので掲載します。

今日は餅つき、波乱の1日だった。
経産省はこのところ、そこが弱点とみたか火気使用についてうるさく言ってくる。
この点に関しては、右翼の放火云々の懸念もあり、我々も厳しく自主管理を行っている。夜間には不寝番をおき、発電機もカセットボンベ型にし、ガソリン使用はやめた。

ストーブもカセット型だ。
さて、プロパンを使う餅つきはどうするか。三つのテントが並ぶ狭いテントひろばに、その余地はない。 担当者鳩首の上、もち米を蒸かすのは近くの日比谷公園でやることにした。
午後1時すぎ、最初の蒸篭が届き餅つき開始。搗き手は体力抜群サミーこと広瀬君だ。

彼は手並み鮮やかな鍋奉行を兼ねる。
餅つきは暮れにやるのが一般的だが、新しい年を迎えてお隣さん方へ「今年もよろしく」と挨拶しとくのもよろしかろうということで1月4日となった。

お隣さん方とは、経産省、外務省、財務省に農水省である。1月4日は官庁街も仕事は
じめ、黒ずくめの官僚集団が通りを埋める。女性職員の華やかな和服姿はほとんど見
られない。大震災、原発事故への自粛の表れなのだろうか。
今日の餅つきに参加したあるフリージャーナリストが問いかけてきた。
「テントで遊び事していると批判する人もいるかと思われますが」
「そうねー。餅を搗いて、仲間うちだけではなく、通りがかりの人や、隣近所などにふるまうというのはきわめて人間的でオープンだという表明でもあるわけで。テントの精神だということかなー。」

初臼に威勢のいい掛け声がかけられているその頃、日比谷公園では思わぬ事態が進行
していた。誰の迷惑になりようもない公園の一角での炊飯になんと丸の内署の警官多数が警備課長を先頭に押しかけてきたという。
彼らによれば、「110番が何度もあったから」だという。嘘も休み休み言え。正月早々そんなことで110番するひま人がいるか。
とはいうものの、公園での炊事は中断のやむなきに至り、急遽西新橋のO弁護士事務所をお借りして急場をしのぐこととなった。

一方、テントひろばでは「未来を孕むとつきとおかの女たちのテント村行動」の椎名さん、事務局のひまわりさん、東電前アクションの園さん、テントひろばの代表として正清さんの4名がアンコやきな粉餅を盛ったお皿を手に、お隣さんがたへの新年の挨拶に向かった。

 結果、挨拶状は各省共受け取った。お餅は受け取らないので置いてきた。経産省は例の課長が置いたお餅を持って慌てて追いかけてきた。外務省は外の門から一歩も中へ入れようとしない。農水省は警備担当者ではなく秘書課の課長が降りてきて、椎名さんの挨拶にもそれなりの対応だった。
各省の対応の違いに原発との距離感が表れているようだ。
餅つきはその後順調に経過、昔取った杵柄組やひまわりさんなども参加、トン汁などの炊き出しもあり、テント前は終日賑わった。 




<テント日誌 1/6(金)>
        ストレステスト公聴会とお茶会と
    ―― 経産省前テントひろば 118日目 ――

今朝は、テントの後ろに建つ経産省本館地下の講堂でストレステストの公聴会があり、多くの仲間と傍聴、めいっぱい東大の岡本教授をヤジってきました。

9時からの傍聴に先立ち、10名近い仲間で、岡本たちが献金受けているという元旦の朝日の記事をコピーしたビラを本館前で配りました。
マイクはなしでしたが、とても受け取る方が多くて、時間が短かったのが残念でした。

公聴会は、委員になってる後藤正志さん、井野さんの突っ込みが素晴らしくて、3時間の予定が30分程伸びて、散会後も残って糾弾している傍聴者もいるような熱気あふれるものとなりました。内容は、たんぽぽ舎などのサイトをご覧ください。
私が特に印象に残ったのは、北海道電力がたくさんの若手社員引き連れて来ていて、うーん、こいつらを相手にこれからたたかって行くのかと思うと、悔しくてたまらんかったこと。
突込をする委員も、傍聴も、傍聴も、こちらの仲間は相当年季が入っている。
後ろのステージ上のカメラで写されたら、それは一目瞭然、頭髪の具合で…。

女性テントでの午後のお茶会、5日・6日とまとめての報告です。
5日はお茶会参加者、全部で6名。
山梨からの退職教員の方、とそのお友達?草加からの退職教員の方、新宿西口のイラク反戦スタンディングに参加している方、原発事故で不妊治療を断念したという方、皆さん、初めて訪れた方でしたが、話が弾み、私がたんぽぽ舎のボランティアのTさんと横浜会議での大間原発の展示の企画をしているというお話をしたところ、大間原発について詳しく知りたいというお話や、福島の子どもが心配というお話などで盛り上がりました。

炬燵で話し込んでいると、ビニールの向こうから、ちらちらと中を伺う方の様子が見えるのですが、ひとりで5人の方とお話しながら、外の呼び込みまでは、残念ながらできかねました。

6日のお茶会は、お天気が良かったので、外で座り込みながら、おにぎり食べてお話をしたりしていたら、可愛いお孫さんたちを連れて一家でテントを訪れた、女性テントのお泊りもしてらっしゃるMさんたちにテント周辺は一気に賑やかになって、そこへ、群馬でのサーカス学校を放射能汚染のために閉めたという校長さんと生徒さんが現われ、また、一段とにぎやかに。 他にも、数人、初対面同士でも、話がはずむ。                         





 


  

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