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2012/05/16 10:08


5月26日(土)「スカイツリー再開発で貧乏人を殺すな!」スカイツリー包囲デモ第二弾への呼びかけ文

 スカイツリーの開業が近づいている。5月22日のオープンに向けて、新聞やニュースはおめでたいムードでいっぱいだが、野宿の仲間や貧乏人にとって、いいことは一つもない。もっとも大きいのは、スカイツリーが街の再開発と結びついて、貧者の追い出しを行っていることだ。再開発というのは、コギレイな建物や箱物を作り、金持ちや観光客を呼び込むこと。

 隅田川の浅草近辺がこの数年でどのように作り替えられていったか、思い出してくれ。10年前は、川のテラスにそって野宿の仲間の小屋が隙間なく建てられ、そこでゆうに500名を越える仲間が暮らしていたじゃないか。仲間たちの小屋は、2年間3000円のアパート事業をはじめとした様々な施策やそれとセットでの追い出しで、次第に数を減らしていった。そして、小屋を潰した後に、観光の施設(水上バス乗り場の改築、スカイツリー展望台などなど)が作られた。

 今も、多くの仲間が野宿を余儀なくされている。しかし、ここ数年、役人どもの追い出しは陰湿さをきわめ、小屋を新しく建てるとハエのように寄ってきて嫌がらせをし、追い出そうとする。ガードマンが雇われ、貧しい者が貧しい者の追い出しをするという、イビツな絵となっている。役人やガードマンは、小屋だけでなく、ダンボールを囲って寝ている仲間に対しても、追い出しを行い、夜も寝かせようとしない。やつらは「スカイツリーができたら一人もいられないからな」などと言って回っている。隅田川だけでない。ここ10年の間に、山谷や隅田川、上野地域で起こったことを見てきた者ならば、誰もがスカイツリーが追い出しの象徴であることを感じているはずだ。

 だが、スカイツリーができることにより、巨額の金が動いている。その金をごっそりとフトコロに入れて喜ぶやつらがいる。スカイツリー再開発で儲かる東武などの大企業や大資本だ。地元の商店などは、スカイツリーに観光客を持っていかれて、むしろ苦しくなると言われている。実際、スカイツリーの足元に新しくできたビルのテナントには、地元の商店はほとんど入っていないらしい。テナント料(家賃)が高すぎるのだ。スカイツリーは貧富の差を拡大させている。

 スカイツリーのにわか景気に踊っているマスコミは、はっきりと金持ちの立場で報道をしている。だが、この10年間、どのように貧乏人・野宿の仲間の追い出しが行われ、どれほどの仲間が死んでいったかを知っている私たちは、スカイツリーを再開発と貧者の追い出しの中に位置づける。スカイツリーは役人やガードマンの追い出し、通行人による野宿者襲撃とセットになって貧者にのしかかってきている。

 舞い上がっているやつらには悪いが、私たちは、このスカイツリーに対し、貧者(野宿者、日雇い労働者、失業者、生活保護受給者)の立場から、はっきりと否(イナ)の言葉を発していこう。5月26日のスカイツリー包囲デモへ結集を!!

スカイツリーが5月22日に開業します。開業後最初の土曜日、底辺からの怒りの叫びをあげていきます。デモ終了後に、現在暴力と排除に真っ向から対峙している竪川河川敷公園に移動し、映画上映会を行います。

5月26日(土)
午後4時 花川戸公園(浅草駅徒歩5分)にてめしと集会
午後5時 デモ出発 
午後7時 竪川河川敷公園にて『長居青春酔夢歌』上映会

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経産省前テント広場から発信だれた情報43

2012/05/15 08:57
<テント日誌 5/4(金)――経産省前テントひろば237日目>
     集団ハンスト行動最終日程=18日目に

     外国からの取材、激励訪問が相次ぐ 

 5月4日(金) 曇り時々晴れ 午後一時雨
 今日の正午をもって、集団ハンスト行動もいよいよ最終日程の18日目に入った。
7日間のハンストを継続していた淵上代表は無事終了した。石橋上人は7日目に入る。81才の長老、佐久間さんは5日目に。
  最終日程とあって、ハンスト実行者は15人となり、テント前に鈴なりに並んでいる。
大阪や福島から駆けつけてきている。ハンスト登録者は119人となったそうである。

 午後、沖縄から伊波洋一さんが激励に来訪される。第1テントで懇談のあと、ハンスト中の人々の間に入って一緒に記念撮影。
 第1テントの奥では、フランスのジャーナリストが熱心に取材。今日急遽大飯から戻ってきていたQさんが流暢な英語で説明。

 今日は午後5時から朴保(パクポー)さんのライブが予定されているが、2時頃から降り出した雨は上がりそうでなかなか上がらない。ライブができるのか気をもむ。
 それでも4時半頃には雨も上がり、無事開演へ。セットの準備時間に明日のカンショ踊りによる経産省包囲に向けてそのワークショップをおこなう。
 パクポーさんのライブは、「Monju」「今こそ流れを変える時」「それでおしまいかい」「雨に咲く花」「HIROSIMA」等、全12曲を演奏。パワフルな歌声から強いメッセージが伝わってくる。

 いよいよ明日は、集団ハンスト行動の終了日であり、泊3号機が止まり、42年振りの全原発停止・稼働原発ゼロの日を迎える。そのセレモニーに向けて準備も着々と進み、全国の原発現地で闘い続けている人々からのメッセージもたくさん届いている。
明日は晴れるだろうか・・・。  



<テント日誌 5/5(土)――経産省前テントひろば238日目>   
原発が止まった日!その歴史的な子供の日に新たな繋がりを!  
カンショ踊りの音は霞ヶ関にこだまし太陽と月が祝福した 晴れた!

 「こどもの日」に相応しい快晴の朝を迎えました。この数日の空模様とはうって変わり、
営業用原発の稼動がゼロとなる今夜を控えてそれを祝福するかのようです。  
この日は集団ハンストの最終日と、泊原発が定期点検に入って日本で42年ぶりに全原発停止・発電稼動ゼロを迎える歴史的記念日。そのセレモニーを正午から経産省テントひろば前で行い、今まで一緒に活動をして下さった方々や支援を惜しみなく注いで下さった多くの皆さんと、まずは日本から原発の火が消えたことを素直に喜び、再稼動阻止という新たな闘いに向かう決意を確認する日です。
何よりも子ども達にそれをプレゼントできる事を喜び合いたいのです。 
まずは参加者に振舞う「柏餅」の調達。昨夜、注文内容の確認を行ってはいたのですが、何せ500個という数の注文なので緊張が。 和菓子屋さんに着くと先日注文に訪れた時と出で立ちが違うのでビックリされるが、今日の趣旨をお話しすると『そうでしたか、頑張って下さい』と激励を受けました。  
11時半過ぎにテントに着くともうテント前は大勢の人の輪が出来ています。さすがにマスコミも多く来ているようです。晴天の中、テントにこれだけの方が訪れるのも久しぶりです。2日に皆さんで描いた「鯉のぼり」も爽やかな風の中ではためいています。その中で一際目立っているのが、瀬戸内寂聴さんに描いて頂いたもの。 
はじめ『どう描けば良いのよ?』などと躊躇されてはいましたが、一旦筆を進めるとその勢いは止まらず一気に描き終えた力作です。丸でそのまま空に駆け上っていくかのような素敵な「鯉のぼり」なので是非一度、テントひろばにお越し下さりご覧頂ければ幸いです。   
Qさんが体調を崩されたということで見えていないのが残念。何よりもこの日は彼と迎えたかった。そして天国の蔵ちゃんとも。見てるかな?蔵ちゃん?晴れた空の上からきっと一緒に参加してくれてると思うと胸が熱くなります。  
12時を少し過ぎ渕上太郎代表の挨拶でセレモニーが始まりました。いつもながら渕上さんの言葉は力強く、明快で私たちの気持ちを鼓舞してくれます。続いては福島の椎名千恵子さん。今日を迎えたお気持ちと「未来を孕むとつきとおかのテント行動」の意味を語りますが、最初の言葉に胸が詰まります。 
『今、福島の子どもたちは復興気分の中で利用されています・・・。』今の福島の現状はこの言葉によく表されています。一年が経っても何ら事態が好転しないで、「安全・復興キャンペーン」に子どもたちを動員し、さらなる被曝を強いていく政府・県に対して怒りを覚えますが、原発が止まっても何ら困らないことを知らしめて、脱原発運動を更なるステージに高めようと思う気持ちを再確認させてくれる言葉でした。  
最後に7日間という長丁場をハンストされた江田忠雄さんの言葉で締めくくってセレモニーを終えましたもちろんこの後にこの日用意した「柏餅」「鯉のぼり」等などが皆さんに振舞われました。
「柏餅」が好評だったのでホッと一安心です。  
13時頃になって、芝公園に福島の女性たちを先頭に向かいました。車を用意するとか地下鉄でとか言っていたのに先頭はもう歩き始めています。結局、全て徒歩で行くことになり、皆さんの意気込みを感じさせられました。   
集会では、鎌田慧さん、澤地久枝さん、古今亭菊千代さん、北海道の長田秀樹さん、原子力資料情報室の山口幸夫さん、韓国の環境団体代表・崔冽さんの後、いよいよ椎名さんの挨拶です。その時、壇上に福島の女性たちが登壇。黒田節子さん、佐々木慶子さん、佐藤幸子さん、森園かずえさん、人見やよいさん、地脇美和さんと今まで一緒に活動してきた皆さんの顔と合わせ10人程の皆さんが晴れがましく見えました。
そこでも椎名さんは力強く、思いのこもった情念の挨拶をしました。福島みずほさんに続いて、福島・いわき市出身の神田香織の会場から『かっこ良い!』と歓声が上がる挨拶の後に落合恵子さんのまとめ挨拶で閉会しました。参加人数は主催者発表で5,500人とされましたが、芝公園23号地の会場にはそれを上回ると思われる人で溢れていました。
デモの開始に先立って、「カンショ踊り」を参加者の方に披露。公園の出口からデモに向かう人々の真ん前で、デモの参加者の方々の多くに踊りを見て頂く。何度も踊り、その都度、良い反応を頂き、夕方からの経産省を踊りで取り囲む目論見にデモ参加者の参加に期待が膨らみます。通りかかった福島みずほさんにも手ほどきして踊って頂けました。デモ隊を送り出した後、急いでみんなで歩いてテントまで帰る。   
テントひろばではミニコンサートが開かれており夕方からの第二部の気分を盛り上げていす。約束した福島瑞穂さんがテントにいらっしゃり、一息つくと「カンショ踊り」の出番です!何回かテント前でリハーサルを行い経産省本館正門前に向かって踊り始めます。踊り上手を先頭、真ん中、最後尾と振り分け(トラメガも)皆さんにレクチャーしながら踊りだすのですが、少しも前に進みません。
皆さんに前に進む要領をお見せしながら気が付くともう別館前の角に差し掛かります。 人数を確認しようと先頭まで行くと、もう国会通りを左折しています。ヒューマン・チェーンは一列でしたが、今回は二列三列となっているので7〜800人というところだろうか?約1時間、心地よい疲れと充実感で「カンショ踊り」で経産省を取り囲むことが出来ました。そこにはデモの参加者が多くいらっしゃいました。  
その後のセレモニーでは全国の原発現地で闘っておられる人たちからのメッセージが読み上げられる。長年、困難をこえて頑張ってこられた人たちとの心がつながる。  
夜も更けて21時にセレモニーを終了したが、ほとんどの方は帰宅しようとしません。それは23時頃に予定されている、泊原発3号機の出力停止を皆で迎えたいという思いからでした。 
アワー・プラネットTVの白石さんのお計らいで「ホクデン」のHPをプロジェクターで投影して頂けたので皆さんでその時間を待つことにしました。23時10分(実際には新聞発表によると23時03分)その時がやってきました。 福島が過酷な状況の中、喜びの表現は慎むべきとの声もあるのを承知でしたが、握手する方、抱き合う方、それぞれが日本から原発の電気が無くなったことを喜び合いました。
 そこに「世界ヒバクシャ」の森下美歩さんと安斉さんがやってきて皆さんに喜びの差し入れを下さいました。 
長い一日が終わった。しかしこれは新たなスタートでもあります。今、50基の原子炉の内、26基に燃料棒が入ったままになっているという。スイッチを押せば直ぐにでも再稼動をしてしまう危うさがあるのです。このスイッチを押させない闘いが始まったのです。 そのためにも『経産省テントひろば』は立ち続けなくてはならないし、『とつきとおかのテント行動』も福島の現状を打破するためには成功させなくてはなりません。これまで以上にくの方の支援が必要になります。引き続き応援頂ければありがたく思います。是非、一度テントにお越し下さいませ。お待ち申し上げます。       
 
(追記)定期検査のため、5日深夜に発電を停止した北海道電力泊原子力発電所3号機(北海道泊村、91・2万キロ・ワット)は6日午前4時に原子炉が完全に停止し、7日午前11時11分、原子炉内の水温が100度以下となる冷温停止状態になった。 



<テント日誌 5/6(日)―― 経産省前テントひろば 239日目> 
    〜 「原発稼働ゼロ1日目」、お祝いの翌日、
      テントひろばは通常モード。そして新たな道のりに 〜
   
 記念すべき原発稼働ゼロの瞬間をテントひろばでささやかにお祝いした翌日、ハンスト期間中の疲れがどっと出たのか、朝起きると、10時を回っていた。テレビをつけると、「報道ステーションサンデー」で、大飯原発再稼働に関する特集が放送されていた。冒頭で、原発の再稼働に反対する様子として、前日、芝公園で行われた集会の様子と参加者へのインタビュー、その後のデモの様子、テントひろばで行われたかんしょ踊りによる経産省包囲、5月2日の瀬戸内寂聴さんのインタビュー、大飯町での抗議集会の様子が放送されていた。その後も、大飯原発の立地の危険性、関電が原発再稼働を求める根拠となっている夏場の電力需給予測の見積りの矛盾点を指摘し、「政府が原発を再稼働させることを前提としていることが問題である」と締めくくられていた。その後に放送された「ワイドスクランブル」でもかんしょ踊りのシーンが流されたらしい。(ん、なんかマスメディアの論調が変わってきたかな?よし!)

 テントに着くと、今日は、杉並のデモに参加された多くの人が、帰りにテントにいらしてくれたようだ。
 テントの前では、Fさんがテント前でギターを弾き、3人くらいが椅子に座って、車座になって歌を歌っていた。昨日は、多くの人で賑わっていたテント前ひろばも、すっかりいつもの光景に戻っている。テントの中には、FRさんとYさんのご夫婦がいらっしゃった。FRさんは前日テントに来られなかった事を詫びていたが、「今は、定期点検でゼロになっているだけ、福島の事が解決しない現状では、お祝いする気分にはなれない」と仰る。また、「原発を使わなくなったら、化石燃料を使う事になるが、これによっても環境が汚染されるとも仰った。
 私たち(T、M、F、K)は、そうは言ってもウラン採掘でも先住民に犠牲者が出ているし、原発による放射能汚染と使用済み核燃料廃棄物残存はレベルが違うのではと反論。中国やインドやアフリカなど世界中の人々がいわゆる「北」の生活を享受するようになればエネルギーが枯渇し公害が発生し地球が持たない、それゆえエネルギー消費を下げるべきというところに議論が落ち着いた。どうすればいいか? 日本の公害の歴史を振り返りながら、江戸時代のクローズドな社会システムに注目したところで時間切れ。
 大飯町のテントに行かれていたQさんから現地の状況をうかがった。現地では、大飯原発で働いていた方が、これから原発労働について声を上げ始めるという。現地の状況も確実に変わって来ていると思う。

 「もし、テントが無かったら、もし、各地のデモや抗議集会が行われなかったら、本当に原発の稼働ゼロを向かえる事が出来ただろうか?」私は、そうは思わない。我々が意思表示をする事がなかったら、この国の政府は何事もなかったように原発を再稼働させ、多くの人が何事も無かったように受け入れた気がする。今まで頑張って来られた皆さんの努力に心から感謝し、素直に一緒に喜びたいと思う。 
 ただ、依然、原発の安全性が担保されない中で、経済的メリットを優先させる目的から原発を再稼働させようという政府の姿勢は変わっておらず、油断をしていると、一気に再稼働に持っていかれる可能性も否定出来ない。また、今回のハンストによって、テントの知名度が上がった事は間違いないが、大きな力の前では、我々だけで出来る事は、微々たるものである。現地の状況を踏まえ、これから、我々がどのように行動していくか、きちんと戦略を立て、これまで以上に現地、東京の他の団体や専門家・著名人などの個人と上手く連携して行く事が重要になって来ると思う。また、今「何となく反対」と言っている人に「断固反対」に変容してもらうためには、情緒的なコミュニケーションだけでなく、原発の実態についてわかりやすく説明する論理的コミュニケーションも重要になってくるであろう。                                              

 ついでに、連休中(5月1日)に開催された原子力委員会定例会議で日本学術会議が「放射能対策の新たな一歩を踏み出すために―事実の科学的探索に基づく行動を―」を提言したこと、1949年に発足し日本の原子力政策の「学」からの推進役を果たした学術会議が3.11福島原発事故を受けて何ら総括していないこと、内閣府原子力委員会も日本の原子力政策を推進する重要な役割を果たしているのだから私たちが監視するべきであること、を確認。                                                 



<テント日誌 5/7(月)―経産省前テントひろば240日目 原発ゼロ2日目>
    集団ハンスト行動を振り返って
    メッセージをお寄せ下さった人々

 5月7日(月) 晴れ。原発ゼロ2日目。
 テントは本当に平穏なのんびりした一日だった。このおおらかな平和は原発ゼロのおかげだろうか。
 午後、車で来た方が、ゴミありますかと、車のトランクルームにがらくたやゴミをいっぱい詰め込んで、おまけに1万円もカンパして下さって、名前も告げずに走り去る。車のナンバーは諏訪ナンバーだったとか。
 夜には、今日も経産省前マイクアピール行動が続けられる。原発ゼロを手放すことなく、永遠のゼロへとしていくために。

 集団ハンスト行動と、5・5夕方のセレモニーについて少しまとまった報告をしておきます。
ハンスト登録者は総計120名。(男65名、女55名)最多 4/17午後 26名   最少 4/29午前 4名(自宅参加者含む)
 テント前でのハンスト座り込み参加者は初日16名、最終日が15名。平均すると1日8名程。
7日間;3名  5日間;3名  4日間;1名  3日間;16名  2日間;16名
 最年長は寂聴さん。90歳まであと13日   最年少は29歳。

 ともかく強い意志表現として、大きな大衆的な運動としての集団ハンスト行動だった。全国に広がり、自宅のみならず全国各地からテント前でのハンスト座り込み行動に参加された。
 ハンスト参加、または激励連帯で、多くの国会議員、1000万人アクション呼びかけ人(鎌田さん、澤地さん、落合さん)、寂聴さん、神田香織さん、上原公子さん、広瀬隆さん等、多くの著名な方に何度も駆けつけていただき、メディアへの露出も相応にあり、再稼働を許さない気運を高め、テントとしても大きなアピールと波及力を持つことができた。
 脱原発をめざす自治体首長全国ネットワークを企画立案された湖西市市長に来訪いただいたり、アカハタも繰り返し取材されるなど、テントの結びつきを一層広げることもできた。

 5月5日には、全国の原発現地で闘っておられる多くの方々からメッッセージをいただき、心をともにしたつながり、行動的連帯を創っていくことができた。
 これらの成果を活かし、寄せられている期待に応えられるよう、弛むことなく闘いを続けていかねば・・・・。
5月5日夕刻のセレモニーの発言者とメッセージ (敬称略)
 発言者;福島瑞穂(社民党党首) 佐藤幸子(原発いらない福島の女たち、放射能から子どもたちを守る福島ネットワーク) 木村結(東電株主訴訟) 黒田節子(原発いらない福島の女たち) 柳田 真(たんぽぽ舎) 布施哲也(反原発・自治体議員市民連盟) 井上年男(平和フォーラムを代表して)
 
 メッセージ;斉藤武一(北海道岩内町) 泉かおり(Shut 泊) 菊川慶子(六ヶ所村 花とハーブの里)山田清彦(三沢市) 篠原弘典(みやぎ脱原発 風の会) 武藤類子(福島 郡山市) 相沢一正(東海村 脱原発とうかい塾) 声明(柏崎原発反対地元3団体 原発からいのちとふる里を守る県民の会) 塚本千代子(浜岡原発を考える静岡ネットワーク) 石地優(福井県若狭町 どんぐり倶楽部) 大野恭子(原発さよなら四国ネットワーク) 青柳行信(原発とめよう!九電本店前ひろば) 石丸初美(玄海原発プルサーマル裁判の会) 田中靖枝(福岡 怒髪天を衝く会) 臼田敦伸(大飯原発再稼働阻止監視テント) 韓国エネルギー正義行動 渡辺刀麻(福島から札幌に避難している少年) 園良太(東京拘置所在監) 韓国から個人3名

 ※メッセージ集を、メッセージをお寄せ下さった団体・個人にお送りします。



<テント日誌 5/8(火)――経産前省テント広場241日目 原発ゼロ3日目>
         次のステージに向かうテント

 5月5日(祝)の原発稼働停止を祝うテント前ひろばは盛り上がった。まだ、その興奮が何処かに残っている。これは私、個人の事ではないと思う。
 だが、原発再稼働もその阻止を当面の課題としてきたテント前ひろばも次のステージになる。
 これがどういう展開になるのか。目下のところはわからない。テント前ひろばは以前と変わらぬ光景の中にある。テントの前に座り込む人、全国から訪れる人は確実に増えているが、光景としては以前と少しもちがわないのだ。周囲の注目や視線は変わってきているのだろうが、それはなかなか気がつきにくいことかもしれない。
 テントの外で人に会う機会が立て続けにできたのであるが、そこで言われる質問は「テントは続けるの(?)」「テントの撤収は(?)」というのが多かった。私たちの掲げてきた再稼働阻止は当面の再稼働のことと重なって理解されているふしがある。
 政府が再稼働をせずに、原発からの撤退を明瞭にすることを私たちは主張してきた。政府がその方針を明瞭にすれば私たちはテントを撤去するが大飯原発の連休前再稼働が行われず、当面の稼働原発がゼロの状態になったからといって撤退はしない。夏前の大飯原発3・4号機、伊方原発3号機の再稼働問題が出てくるという予測もあり、テントはそれらの阻止を含めて継続して行く。テントも長い射程の闘いに入る。
最近のテントを取り巻く周辺での変化として、連続した官邸前や連日の経産省前での抗議行動がある。政府の再稼働の画策に対する若者たちの行動は予想以上の結集をもって展開されているが、当面は毎週金曜日の官邸前行動として続けられるようだ。
 他方で、経産省前の行動は連日にわたって続けられている。テントの周辺でのこうした行動と連帯して行きたいが、自発的な多くの行動を歓迎したい。テントでの企画なども話として聞くが取り組みも始まると思う。
テントに大きな鍋におでん等を一杯詰めて差し入れに来てくれた前澤奈津子さんが亡くなられた。彼女は大病で闘病中であったが、小康状態の合間をみてはテントに差し入れなどをしていただいた。笑顔で元気づけられることもあったのに残念である。
 私はごく最近、ということはほんの一日か二日前にテント前で彼女を見かけたように思う。
彼女の訃報を知らせてくれた友人にその話したら彼女は病院にいたのだ、と言われた。私の錯覚だったのだろうが、彼女がいるのがあたりまえのように思っていたところがあって、ショックだった。冥福をお祈りすると共にここに簡単な報告をさせてもらう。 
  
★5月11日(金)「一瞬ではなく永遠のゼロへ」18:30〜 首相官邸前 
                        主催 再稼働反対!全国アクション
 5月12日(土)「柏崎刈羽の再稼働なんてありえない!東電『事業計画』を撤回させよう」 5・12アクション 15:00〜16:00 東電本社前  主催 東電前アクション
★テント全体会議  5月14日(月) PM7時〜  たんぽぽ舎4F 
    ◎集団ハンスト行動を振り返って・・・新しいステージへ
    ◎大飯・伊方原発、再稼働をめぐる情勢と現地行動〜テントの運動




<テント日誌 5/10(木)――経産省前テントひろば243日目 原発ゼロ5日目>
     大飯町は今・・・
     元原発設計者・検査員との会話
     
 5月10日(木) 晴れ 午後大荒れの荒天 後曇り
  テントに出かける前にいつものメールチェックをしていると、大飯町の状況についてのメールが届いていた。26日の住民説明会から空気が変わりつつある大飯町では、町議会の全員協議会の開催方針が二転三転し、結局、全員協議会を開いて結論を出すことは時期尚早ということになったようである。
 メールは、「町民の中に『反対』『慎重』の意見が多くある(住民運動連絡会が行った調査では約7〜8割が『慎重』)ことと、周辺自治体(県内外)からの慎重意見が影響し、おおい町議会やおおい町がすすめる『原発再稼働』に歯止めをかけていると考えられる。引き続き、大飯町民と対話することと、おおい町・おおい町議会、福井県・県議会に対して要請を強めることが重要。」と締めくくられていた。
 大飯町民と福島の人々との対話がなんとか実現できないものかと、強く考えさせられる。
 今日の午後、関東は大荒れの天候だったようである。テントも強風と横殴りの雨に見舞われたようである。テントに着いた時は漸く収まり始めていた頃であった。
 テントには、藤原節男さんというかって三菱重工で原発の設計、開発に携わり、JNESで原発検査員も努められた方が来られていた。早くから原子力ムラの体質がいずれ大事故を引き起こすと指弾し、その結果の解雇に対して今も裁判で係争中である。ストレステスト意見聴取会に井野さんに随行した帰りだという。「原子力ドンキホーテ」という本を出版されている。
 根っからの技術者で、夢物語のような1000年後の原子力の世界を夢見ながら研究を続けるのだと、仰る。そういう立場の違いは違いとして、現在の原発は全て廃止すべきこと、再稼働を止めなければならないこと、原子力ムラを解体すべきこと等で一致し、共闘していくことを確認。
 道行く人々に必死にビラ配りされるその情熱に感服。
 福島の佐藤幸子さんが来られて、椎名さん含めて歓談。先日の福島から福井への弾丸バスのことを再度伺う。その上で、近いうちに大飯町民と福島の人々との交流・対話が実現するように追求して、その際には福島から是非!とお願いする。
 なお、椎名さんは明日から沖縄だそうだ。武藤さんは5/5にはシカゴだった。
 福島の経験と訴えは全国へ、全世界へ  そして全国を 全世界を動かしていく。
              

★テント全体会議  5月14日(月) 午後7時〜  スペースたんぽぽ
    ・集団ハンスト行動を振り返って・・・・稼働原発ゼロの新しいステージへ
    ・大飯、伊方原発の再稼働をめぐる情勢と現地行動〜テントの運動

 



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経産省前テント広場から発信された情報42

2012/05/08 07:59
<テント日誌 4/29(日)――経産省前テントひろば232日目>
         来訪者で賑わうテント 
         夜の110番騒動

4月29日(日)天気晴れ
  昨日に引き続き晴れ。太陽光発電は順調。第二テントはほぼ満タン。第一テントも半分程度まで回復。太陽光パネルが置かれている場所は時間によって木陰になってしまうので、太 陽の日周運動に合わせてパネルの位置や角度を少しづつ変えてみました。
本当はテントの上に上げたいのですが、意外と重いのです。
 ゴールデンウィークという事で東京の街からは人が減っていると思いますが、 今日は昭和の日という事で、抗議のデモや、更にそれに対して抗議をする人など、 霞ヶ関は今日もそれなりに政治的でした。
 渋谷ではツイッターで呼びかけられたデモが行われ、そこには高速増殖 炉「もんじゅ」の精霊「もんじゅ君」(http://twilog.org/monjukun)まで登場したとのこと。もんじゅ君はユーモアを交えて原発の廃止(特に高速増殖炉)を 訴えるネットの人気者です。「おしえて!もんじゅ君」「さようなら、もんじゅ 君」と2冊も著書を出しています。                  
午後、詩人の石川逸子さんがテントを訪問、ハンストしている人を励ましてくれました。長年に渡って、ヒロシマ、ナガサキ、戦争、核の犠牲者の証言を綴り、誌を書いて来られた石川さんは今の福島の現状に心痛めておられました。
                
 澤地さんが今日も来訪され座り込みに。そして第1テントに、椎名さん、黒田さんをはじめ、福島の女性達が5人程集まり、澤地さんと懇談。
 夜には湯川れい子さんも来訪される。その頃、長身の若者3人が訪れ座り込み者に大声で話しかける。なぜ北朝鮮のミサイルを批判しないのだ?テントを撤去しろ、などと。 その場にいた湯川れい子さんも一人と丁々発止。会話は何とか成立するが時々暴力的な言葉で我々を威圧しようとする。さらに、テント前のポールと雨除け幕を「片づけてやる」とはずしにかかる、我々のだから自分たちでやるよとの私たちの言葉を無視してカバーをはずす。 
  数人と相談し躊躇しながらもやむなく110番。3人の来訪者が乱暴な言葉使いでテント近くのポールに手を付けている、暴力を振るわれている訳ではないがちょっと来てほしい、と連絡する。 
4分後に白塗り自転車で所轄の警官が現れる。大げさでなく一人で良かった、と胸をなでおろす。その頃には既に湯川さんほかの説明が功を奏して3人それぞれとマンツーマンの会話が進んできて、私たちの再稼動反対論やテントの主旨に関心を示した人も現れたとか。 我々から所轄に説明していると、何とパトカーが次々に到着して制服警官が10人ほど、おまけに公安と思われる私服も8人程現れて後ろで監視を始める。暴力を振るわれた訳ではないと所轄に説明し、われわれや来訪者3人がそれぞれ事情聴取を受けたあと20分後には、3人も警官とともに去り、私服も徐々に退散した。 
 ハンスト者もそれぞれの寝場所に移り、第一テントで反省会。日曜常連の歓談者と泊まり担当者とで、種々の事情が重なったゆえだけれど少々110番が早すぎたと反省。福島からの黒田さんと古くから反原発運動を続けている近藤さんも加わり泊まり担当のRさんやFさんほかも交えて、反原発運動の歴史を振り返って盛り上がる。ワインやマッコリを片手にあちこちの原発立地地域を飛び回った。何よりも、原発建設を止めた地域の数が建設・稼動された地域よりずっと多いことを教えられたのは大収穫。楽しい歓談が止まず気づくと消灯の夜11時。隣テントで寝ていたハンストのみなさん、ごめんなさい。                             



<テント日誌 4/30(月)――経産省前テントひろば233日目>
      首相官邸前で若者2人、3日間完全ハンスト
      経産省正門前マイク行動は今夜も続く

 4月30日(月) 晴れ。初夏のような陽気、テントでは半袖姿も並んでいる。
テント前でのハンストは7〜8人。参加登録者は105人に達している。澤地さんは今日もテントの前で座り込み。
 人通りの少ない、静かな霞ヶ関で、石橋上人のうちわ太鼓の音が鳴り響く。
 今夜、首相官邸前で3日間のハンストをおこなっていた若者2人がそれをやり終える。
水も飲まず、塩も摂らない超のつく完全ハンストである。夜は近くの日枝神社の境内か
日比谷公園で過ごしたそうだ。
 若者達がこのようなギリギリのハンストでもって叫びを上げている。1人は終了後、虎ノ門病院に担ぎ込まれたが、無事、間もなく退院となった。
 7時半からは、恒例の経産省前マイク行動が行われる。今日は男女計6人。このマイク
行動ももうどれくらいになるのだろうか、毎日行われている。
 始まる前に、テントで女性が今日はなにをアピールしようかと、資料のファイルを開いていていた。いつもネットから資料を取り出し、ファイルしているそうである。
 
ひたむきな思いとひたむきな行動、それが脱原発への未来を拓いていくのだろうか・・・。
                    
★5月2日(水) 朝から、鎌田慧さん、澤地久枝さんなどが、テントへ激励に。澤地さんはハンスト中で、テント前に座り込み。
 同日、昼〜夕方、鯉のぼりプロジェクトの作業。
★5月5日(土) こどもの日・・・原発ゼロの日 を祝う、テントひろばイベント&セレモニー   
正午〜 集団ハンスト終了式  リレートーク&ライブ                   鯉のぼりプレゼント 柏餅・花菖蒲・カレーのふるまい   
午後5時〜 カンショ踊りによる経産省包囲   
午後6時〜 原発ゼロを祝うセレモニー   
午後7時〜9時  リレートーク&ライブ 

 ※カンショ踊りは、練習を兼ねて、5月4日午後、ワークショップをおこないます。


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テント日誌(番外編)〜人生初のハンストに決起〜“犠牲のシステム”としての
エネルギーを考える

経産省前テントひろば
2012.4.26 第229日目 天気・曇(東京:最高気温20.6度/最低気温16.5度)

前回のテント日誌(4月8日、211日目)からわずか18日しか経っていないのに、一気に暖かくなった。このテント日誌番外編には毎回、その日の最低/最高気温を記すことにしているが、今日の最低気温は前回の最高気温を上回っている。冬から一気に初夏になった感覚だ。

私の住む白河では、早いときでは11月初旬に初雪が降り、遅いときは4月中旬以降も雪が降ることがある。私が白河に住むようになってからの5年間で、一番早い初雪は11月3日、一番遅い降雪は4月21日。すなわち1年の半分は冬である。特に1〜2月は最高気温が0度未満の「真冬日」が半月以上にわたって続くこともある(今年は真冬日が正月から2月半ばまで1ヶ月半も続いた)。洗濯物は凍るので冬の間、ほとんど外に干せない。原発事故のため1年中洗濯物が外に干せないという事態になっても、私たちがあまり慌てることがなかったのにはそうした事情もある。

だからこそ福島では、春の訪れがことのほか嬉しい。西日本のように、季節が進むに従って順々に花が咲いていくのと違い、福島では春の訪れとともにあらゆる花が一気に咲く。まさに百花斉放の春である。「春が来た春が来たどこに来た 山に来た里に来た野にも来た」と歌われる唱歌「春が来た」の作詞者・高野辰之は長野県の出身だが、私はここ白河に住むようになって、この歌詞を書いた高野の気持ちが初めて理解できたような気がする。

新潟ではこの冬、除雪費が過去最高を記録したという。例年にも増して雪が多く、被災地にとって試練ともいうべき長く苦しい冬だった。だが、冬来たりなば春遠からじと言われるように、どんな厳しい冬でも終わりは必ずやってくる。この社会がみずから背負い込んでしまった「核の冬」を今こそ終わらせるときなのだ。

人生で初めてハンストに立つことにした。大飯再稼働阻止のため、たったひとりでハンストを始めた中嶌哲演さんに応え、ここテントひろばでもハンストが繰り広げられている。私にとって馴染みの顔になった「原発いらない福島の女たち」も入れ替わり立ち替わり、ここを訪れている。午前10時過ぎにテントに着くと、ちょうど外国メディア向け記者会見が始まろうとしている。参加申込用紙に名前を書いていると、記入は後でいいから先に法被を着るように言われ、そのようにする。今日がちょうどチェルノブイリ事故26周年の日であることを、このとき司会者が発言するまで忘れていた。

チェルノブイリ事故が起きたとき私は高校生だった。原発について初めて考えたのもこの事故がきっかけだ。「日本にも放射能が来るかもしれないので、雨には濡れないように」と教師に言われたことを今でも覚えている。遠く離れた日本で、雨が降るたびに怯えなければいけない原発って何なのだ? と疑問を持ち、このとき反原発の政治的立場が確定した。

当時、1週間に1コマだが「国語表現」という授業があった。生徒が小論文を書いて出席番号順に発表し、他の生徒は感想を書く(原則1回の授業で発表者は1人)。今から思えば教師の手抜きとしか思えないような企画だったが、それでも表現力をつける上で格好の訓練にはなった。私に順番が回ってくる数週間前、「社会的な内容を取り上げた小論文が少ない」と担当の国語教師がぼやいているのを聞いて、それなら自分が取り上げてやろうと思った私は「原発とエネルギー」という小論文を書き、脱原発を訴えた。クラスメートからの感想の中には「電気の3割は原発で作られている。今原発を止めると、電気はどうなりますか?」というものもあった。電力問題なんて、当時の高校生ですらちゃんと議論していたのだ。

私にとっては、1960年代までの日本は原発がなくてもやっていたのだから、今後もやれるはずだという皮膚感覚のようなものもあった。件の感想の書き手にその考えを伝えると、納得したような、していないような、よくわからない表情だった。

今、原発推進・再稼働の手先として振る舞うマスコミは毎日のように「電力不足」をあおり国民を脅しているが、26年前の高校生ですら議論していたことを今になって慌てふためくとは、日本のメディアも墜ちるところまで墜ちたものだ。
"The more we have,the more we want."(人は持てば持つほど、ますます欲しくなる)という英語のことわざもある。「欲望に任せていてはキリがない。“足るを知る”、足りる範囲で生活する」が電力問題に対する私の答えだ。

外国メディアとの記者会見の冒頭、福島からの参加者ということで司会者からマイクを向けられた私は福島の思いを精一杯伝えた。「福島では今、原発を動かしていいと思っている人など1人もいない。ぜひ、再稼働が狙われているすべての地域にこの福島の経験を共有してもらいたい。私は、新たな福島をどこにも生んでもらいたくない」「福島のお母さんたちは、電力が足りるとか足りないとか、そんな議論自体したくないと言っている。足りなければ再稼働するのか。家族が全員、健康で寄り添って幸せに暮らせるならロウソクでもいいというのが福島の思いだ」と発言すると、テント前の聴衆から拍手が起きた。

当然のように電力問題に対する質問もあった。経済問題をどう考えますか、という質問には「人の命も守れない経済って何ですか?」と怒りの言葉がふと、口をついた。「原発のない日本を子どもたちに残してやれるなら、私は原発ムラと刺し違えてもいい」とまで発言した。そのように思っている福島県民は少なからずいる、と私は想像している。

外国メディアとの会見は11時頃終了した。米国ウォール・ストリート・ジャーナル紙の女性記者は、以前どこかで会っているような気がするが思い出せなかった。ウォール・ストリート・ジャーナルや、英国フィナンシャル・タイムズなどの外国メディアは一切の偏見を持たず、よく取材して書いてくれている。特にフィナンシャル・タイムズの記事はネットにも日本語訳記事が掲載されているが、「作物は安全なのに……か、それとも安全など信じられないか 2つの異なる視点」(http://news.goo.ne.jp/article/newsengw/world/newsengw-20120125-01.html)や、「福島へ、それは奇妙な里帰り」(http://news.goo.ne.jp/article/ft/nation/ft-20120411-01.html)等の記事は、福島に住んでいる私の目から見ても違和感なく読める。ロクな取材もせず適当に書き散らかして終わり、の日本の記者クラブメディアとは雲泥の差だ。

昼頃、日本ハンスト界の第一人者(?)、佐久間忠夫さんがやってきた。JR東日本の株主代表訴訟第2回公判が午後2時から東京地裁で開かれる。その後、根津公子さん、河原井純子さんの「日の丸・君が代」訴訟もあるので、その前にテントに立ち寄ってくれたのだ。JR株主代表訴訟には私も傍聴に行く予定にしている。午後1時半頃までテント前で佐久間さんと雑談した後、ハンストは日没まで続ける旨をテントのメンバーに伝え、テントを辞する。

JR東日本の株主代表訴訟については「地域と労働運動」誌第136号に掲載した拙稿をご覧いただきたい(インターネットでは、安全問題研究会サイト(http://www.geocities.jp/aichi200410/120125kabunusi.html)に掲載)。午後2時から始まった第2回公判では、原告(株主)側弁護士が信濃川からの不正取水を「故意ではない」とする経営陣側の主張に証拠を挙げて反論した。経営陣側からは何らの主張も行われなかった。

この裁判で、呆れたのは経営陣側を「応援」するため、法人としての会社(JR東日本)が「補助参加人」となっていることである。会社は経営陣の失態のために根拠なく自分のカネを不当支出されたのだから、本来なら株主の側に立ち、経営陣にカネの返還を求めなければならないはずである(私は、本来なら会社は自分に損害を与えた経営陣を背任罪で告発すべきと思っている)。それを、自分のカネを不正支出した「泥棒」を弁護しているのだから話にならない。改めて企業は誰のものなのか考えさせられる。privatizationという単語は、やはり民営化などではなく、正しく「私有化、私物化」と訳すべきだ。

この裁判を通じて思うのは(先の「地域と労働運動」誌の拙稿にも記したが)、水力発電もまた地元に大きな犠牲を強いることで成り立っているということである。今、原発「代替エネルギー」の議論があちこちで行われているが、脱原発はいいとして、原子力以外のエネルギー源に問題はないのか。水力は誰かに犠牲を押しつけていないか? 火力は?

私が今回、このテント日誌のタイトルを「“犠牲のシステム”としてのエネルギーを考える」にしたのは、こうした問題意識からである。「初めにどれだけ使うかを決めて、その後に供給策を考える」のでは、無駄遣いをしたあげくに消費税増税という官僚の予算要求と同じだ。初めに消費ありき、という文化を転換しなければ悲劇を終わらせることはできない。「みんなが納得できる負担の中で、節約し、知恵を出してみんなが納得できるように使う」――これが、ポスト原発、ポスト資本主義の時代のあるべき社会の姿である。

JR東日本株主代表訴訟の報告集会に出席しているうちに日没を過ぎ、ハンストをやり遂げることができた。ハンストのために自分で作った「再稼働? 寝言は寝て言え」「福島は再稼働を絶対に認めない」の2枚のプラカードは結果的に好評だった。ハンストは苦しいものだと思っていた私の固定観念は、よい意味で覆された。ただ座っているだけで、いろんな人がやってきて、話をしていると空腹でもそんなに苦しいと思わなかった。次回はもっと日数を増やして、さらなる高みを目指してみるのもいいかな、と思っている。私が絞り出した福島の思いは、外国メディアの手によって発信され、インターネットを経由して多くの日本の市民も見ることになる。その思いが日本中の人々に伝われば、再稼働など吹き飛ぶだろう。今は未来のために、若者と子どもたちのために、死にものぐるいで頑張るときだ。

日本に残る最後の稼働原発、泊3号機が止まる5月5日はこどもの日だ。今、「原発いらない福島の女たち」の間では「5月5日、子どもたちに原発のない日本をプレゼントしよう」が合い言葉になっている。5月5日、脱原発が実現したあかつきには、ささやかに祝杯でも挙げるとしよう。




<テント日誌 5/1(火)――経産省前テントひろば234日目>
         稼働原発ゼロの日が近づいて

 5月1日はメーデーの日として知られています。この日は五月晴れというように晴れやかでいくらか蒸し暑さを感じる日が多かったような記憶があります。暦の上では立夏も近いわけで、もう少し夏めいた気候だってあっていいのだがぐずついた日が続きます。今日は連休の前半と後半の間の日ですが、テント前では立ち替わり、入れ替わりハンストメンバーが座り込んでいます。
ハンスト参加の登録メンバーは100人を超えました。
 メーデーのデモ行進が経産省前を通り、座り込みのメンバーとエールの交換をしています。この霞が関界隈にはいろんなデモやパレードが通るわけですが、そのたびにエールを交換する風景はなじみのものとなりました。最近はデモやパレードだけではなく、首相官邸前での座り込みや経産省前での抗議行動などの意思表示が多くなり、霞ヶ関全体への異議申し立て行動が広がってもいます。一つの行動の広がりはいろいろの形で現れるのですが、その今後に注目したいところです。
 テントには全世界や全国からいろいろの人が訪れることは何度も書いたことですが、その度に驚かせられることもあります。熊本県の小さな島から上京し、ボクシング一筋でやってこられた人が、訪れ話し込んでいきました。経産省に抗議のついでにテントに寄ったとのことです。
原発問題が人々に浸透していることの広さを実感させらる時、また、これまでは考えられなかった人々の声を聞かされる時、自分の想像力の狭さのような事を感じます。
 どんよりとした天気で、いつ一雨来るかわからない中で座り込んでいるのですが、最近若い女性の着物姿が目につきます。雨で難儀をしないといいなと気がするために余計に目に着くのかもしれませんが、少し夏の感じられるときなら素敵なのにと思ってしまいます。
テント前には連日のように澤地久枝さんがきて座り込みをされているのですが、明日には瀬戸内寂聴さんや鎌田慧さんたちも参加し、記者会見も開かれるというので、雨の場合に備えた準備もされています。テント内では5月5日の催しものの検討もなされています。
 5月5日には泊原発3号機が止まり、稼働する原発がゼロになることは確定的ななってきました。このことを5月5日に子供の日に祝い、新たな決意を確認しようという催しが準備されているのです。
                          (M/O)

★5月4日(金) 午後3時〜 カンショ踊りのワークショップ
     5月5日の経産省包囲行動に向けて覚え、練習しておきましょう。
★5月5日(土) 正午〜 集団ハンスト行動終了式 (40分ほど)
     集団ハンスト行動に参加された方々のご参集をお願いします。
     その後、まとまって芝公園の集会に参加します。

<大飯原発監視テント日誌>
 5月5日泊で定期検査11時突入で稼働原発0はゆるぎない状況です。ここで手を弛めれば大飯原発再稼働とともに再稼働のラッシュになだれ込まれる。いまさらに再稼働断固阻止の理由の正当性を内外に訴えねばならないと、Uさんは、1日午前8時からおおい町役場の座りこみを開始。賛同者はさらに9人、役場前で円陣を組み、熱烈な情報交換がされている。
 最も危機的な現地住民がおっとりとした体制順応主義に染められてきたことは、3・11(2011)で反省されている。いまうまれてきたこどもたちのように、全存在をかけて、邪悪な原発ハイテクシステムを「安楽死」(槌田敦)させる理由の納得・合意形成を世界的世論とするために、ここおおい町は緊要の試金石のひとつです。
 本日お隣の小浜町では安全保安院の課長級の住民説明会があったが、一般住民は入場できなかった。
我々の所へ小浜のひとが寄ってくれた。善悪多少価値観が旋回する。地震とテロが来るまえにしなければならないことは無限だ。福島前夜、原発前夜に近づくことは、まず再稼働阻止からだ。5時すぎても座り込み討議は終わりそうもない。              




<テント日誌 5/2(水)――経産省前テントひろば235日目>
    寂聴さん、澤地さんらがテント前でハンスト座り込み
    脱原発鯉のぼり作成も着々と

 5月2日(水) 朝起きてみると、昨日から懸念されていた雨は降っていない。なんとかもってくれればいいが・・・。というのは今日瀬戸内寂聴さんがお見えになるという情報を得ていたからだ。
 午前9時半頃、寂聴さんと澤地さんがご到着。次いで鎌田さんも。続々とメディア関係者がつめかけて、10時かっきりに記者会見。道行く人々も寂聴さんをみては足を止めて記者会見に見入られる。
 寂聴さんは「私の念力で雨を食い止めた」と一同を笑わせられる。今日来た理由を「原発に反対であり、なんとかせねばという気持ちと、私のような九十のばあさんがここに座ったら、マスコミに取り上げられ、それを見た若者が張り切って行動してくれると思って。」と仰る。
「これまで生きてきて、福島の原発事故のような恐ろしいことは戦争以外に一度もなかった。政府は再稼働をどうして焦るのか。原発事故は人災であり、同じことを繰り返しては子どもや若い人たちがかわいそうだ」などと訴えられた。そして、昨夜から食を断っておられ、このまま日暮れまでここでハンスト座り込みを続けると仰った。
 澤地さんは昨日からハンストに入っておられ、今日はNYの坂本さんの「気持ちは一緒です。」というボードを提げておられる。今日は日暮れまでここでハンスト座り込みを続けられる。
 記者会見が終わる頃から雨がふりしきるようになる。第2テントの前幕は屋根に早変わり。その中で寂聴さん、澤地さんにひっきりなしに取材が続く。
 第1テントの奥では、机を並べて、鯉のぼりプロジェクトの女性達が鯉のぼりの生地に思い思いの絵模様とメッセージをかいている。カラフルな鯉のぼりができあがっていく。後は縫い合わせを残すのみである。
寂聴さんも一尾の絵入れをされた。5月5日にはこの鯉たちは脱原発の希望をのせてテントの上高く泳ぐことだろう。
 夕方、お帰りになるときに、TAXIに乗り込まれたところで落合さんが来訪。怪我をされていて来られるかどうか・・・ということだったが、雨の中駆けつけて来られた。寂聴さんとご挨拶。
 雨は休み無く降り続いていたが、テントは一日中大賑わいであった。
        
★5月4日(金) 午後3時〜 カンショ踊りのワークショップ
     5月5日の経産省包囲行動に向けて覚え、練習しておきましょう。
★5月5日(土) 正午〜 集団ハンスト行動終了式 (40分ほど)
     集団ハンスト行動に参加された方々のご参集をお願いします。
     その後、まとまって芝公園の集会に参加します。

<大飯現地報告 5/3>
 反戦老人クラブ滋賀の高瀬です。
 ひとつ嬉しい話をお伝えします。
 現地テント村の人たちが、きのう8時半から、時岡忍大飯町長自宅前で街頭宣伝活動をしました。
 かなりの嫌がらせを覚悟していたが、近所の人たちがだんだん集まり、周りで拍手くれたそうです。
 通過儀礼のつもりだったはずの住民説明会が、むしろ住民の意識を掘り起こし、言いたいことを言うことができる機会をつくりだした、26日から空気が随分変わった気がする とのことです。
 倦まず、弛まず、諦めず、意を強くしてますます老人力を発揮します。







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野宿者・持たざる者のメーデー

2012/05/06 06:52
★5月3日・雨が降る中を野宿者・持たざる者のメーデーが行われました。


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社会から排除され野宿になり、今また野宿をして生活している場からも排除をされている多くの仲間たちがいます。
彼等は路上にうずくまるしかありません。

当日は、若者も参加しましたが、竪川の排除と闘っている野宿の仲間の力強い挨拶もあり、元気に上野公園までデモを行いました。
参加者と同じような人数の私服警官が諜報活動をし、邪魔くさい事。
腹のへった、今にも倒れそうな野宿高齢者の行動に、まったく馬鹿げた税金の無駄遣いをしているんですが…
そんなら、飯でもだせ!!



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5/3 野宿者-持たざる者のメーデー

2012/05/01 22:32


ご参集ください!!

5/3 野宿者-持たざる者のメーデー
・5月3日(木)13時〜
・御徒町公園(東京都台東区台東4 御徒町駅徒歩5分)
・14時、デモ出発
・主催/同
実行委員会

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今メーデーは、区部東部圏である御徒町公園で集会を開催し、上野公園までのデモを闘 う。この1年、東部圏においては竪川河川敷公園や荒川堀切橋で強制排除・撤去攻撃が激しさを増し、、それと闘う全都各地の野宿者−持たざ る者や労働者−民衆の団結を打ち固めるために、私たちは本日、ここに結集した。そもそもメーデーとは約130年前、労働者の権利をかちと るためのアメリカ・シカゴでのゼネストに対する血の弾圧を起源とした労働者−民衆の闘いの日であり、ここ上野は1920年、日本ではじめ てメーデーが闘われたところだ。

 失業・野宿状況は、流動的下層労働者として政府・資本により政策的にとして生み出したも のであり、就労、福祉、医療、居住など社会的排除によってその増大化、長期化が進行した。野宿の仲間は、睡眠・休息と食という最低限の生 存の条件をこの間世界中で闘われている「占拠」によって文字通りかちとらなければならないところまで追いつめられてきた。しかしその生き るための寝場所すら奪われ続け、現在も奪われようとしている。

この数年来、都内各地においては、民(資本)−官(行政)一体による都市再開発をテコとし た排除・撤去が激化している。今越冬突入直後、竪川河川敷公園の仲間に対し、江東区は行政代執行の手続きに着手し、2月8日、だまし討ち 的、暴力的に1名の仲間のテントに行政代執行を強行、同9日には江東区に抗議した支援者1名を不当逮捕、後起訴した。4月24日には公園 内に移転した仲間のテントに対し、5月1日を期限とする撤去の指示書が張られ、5月3日の「竪川改造計画」の目玉「カヌーカヤック場」 オープンを目前にして予断の許さない状況にある。荒川堀切橋の仲間に対しても国土交通省の強制排除・撤去が繰り返され、現在も攻防が続い ている。そのような中、同22日、「スカイツリー」がいよいよ開業する。・・・・




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経産省前テント広場から発信された情報41

2012/05/01 21:52
<テント日誌 4/25(水)――経産省前テントひろば228日目>
    集団ハンスト行動 中盤を迎えて盛況に
    大飯もいよいよ正念場に

 4月25日(水) 晴れ後曇り 夕刻より雨

 大飯から帰ってきて翌日、今日から3日間ハンストとあって正午に遅れ気味にテントに到着。3日前の時点では、この時期のハンスト参加登録者が少なく、寂しくなるかと心配であったが、着いてみるとハンスト装束の方々が10人も並んで座っていた。で、11人目ということに。中には、大阪からやってきたという飛び入りの若い女性も。そしてハンスト参加登録者は85名に達しているという。
 今日も遠方から来訪されている。沖縄から「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」の高里鈴代さん、そして北海道の方、福島の郡山市の方、等々。集団ハンストは着実に全国に浸透し、広がっているようだ。ハンスト応援の座り込みも結構な人数である。
 午後、大きなデモ隊がテントの前の桜田通りを通っていく。TTPに反対する農業団体を中心とするデモで、都道府県ごとにかたまり、12挺団まであった。エールを交わす。デモ隊の中から原発反対のコールが起きることも。
 デモの終了地点から再び日比谷公園にとって返す人たちの一団がテントの前を通る。資料を受け取っていく人、カンパをしていく人、バッジを買っていく人・・・、中に、福島の20km圏内の者だと言いながら駆け寄り、握手していく年配者もいた。
 1次産業・農業という視角からみると、原発とTPPは同じ糸で結ばれているように見えてくる。
 夕方から雨となり、ハンスト者もテントの中に座る。明日はチェルノブイリ26周年。外国人メディア記者会見の予定。                                             

<大飯原発監視テントより>
 4月25日4時福井県庁舎6階大会議室にて第71回原子力安全専門委員会があり、大飯テントより三人参加。他の参加者やマスメディアへ、26日の住民説明会への監視テントの一員としてのUさんの呼び掛け文を配布する。地元の学識者と関西電力、原子力安全保安院の三つ巴の外部に地元に本当の当事者がいる、そして大いなる生態系が横たわっている。金でまるめこまれそうな沈黙を強いられがちな善人のためによそものはお助けしたいのだ。地元の人々のカンパも届きはじめている。明日が正念場だ。              
   


<テント日誌 4/27(金)――経産省前テントひろば230日目>
    雨にけむる霞ヶ関、集団ハンスト行動と様々なアクション
    澤地久枝さんが激励に来訪
    
4月27日(金) 朝から一日中雨
 集団ハンスト行動も満10日を数える。雨のため第2テントの前の幕を開け、中に椅子を並べて座るが10脚あまり並べた椅子が満席となる。第1テントのまえの応急の雨よけテントに座っている人も。ハンスト者は最大時は11名ほども。テントでは初めて見かける方も結構多い。ドイツ在住で帰国中の方も参加。福島の方が3名。ハンスト登録者は夕刻には97名になったそうだ。
 午前中に落合恵子さんから激励の電話を受ける。必要なものがあればなんでも言って下さい、ということであった。
 今日も多くの方が雨の中来訪される。新潟から来られた方は新潟日報の記者をされていたそうで、柏崎刈羽が故郷だそうだ。5月3日に集会・デモを予定されていて、その時テントへの寄せ書きを送る計画だという。ついでに5月5日行動へのメッセージも依頼する。
 午後3時頃澤地久枝さんが激励に来訪される。並んで座ってお話を伺う。澤地さんは5月1日から2日間ハンストに入り、2日にはテントの前に座る、と仰る。「お体は大丈夫ですか」と聞けば、「そういうことを気にしてる時ではない」と仰った。2日には1000万人アクション呼びかけ人の人々に、テントに激励に行こうと呼びかけられているそうだ。
 韓国の映画監督をされている女性の取材を受ける。最後は、日本の反=脱原発運動の発展が韓国にも大きな影響を与えるだろうし、東アジアでの反核・反原発の連帯を創っていきたい、ということで締めくくられる。
 この日は多くのイベント、アクションが取り組まれている。午後には廃炉アクションの院内集会があり、女性達は福島の女性を先頭に参加した。そこでは福島での被曝の深刻化と様々な症状が出ていることが報告されたそうだ。
 夕方からは、金曜日恒例となっている首相官邸前行動が雨にもかかわらず1100名の参加で行われ、経産省正門前では東電前アクションの抗議行動が行われる。テントはこれらの行動の中継基地の役割を果たしているとも言える。
                     



<テント日誌 4/28(土)――経産省前テントひろば231日目>
   千客万来・・・浜名湖の湖西市市長に
   武藤類子さん澤地久枝さんも来て下さった♪

4月28日(土)久し振りの好天気、初夏のような暑さ。商業用原発・全停止まで8日。
集団ハンストは12日目。遂にハンスト登録者は100名を超える。テントの前は今日も10人以上がハンスト座り込み。名古屋から3日間の予定で来られた方も。
 午前中に浜名湖西岸の湖西市市長の三上元さんがお見えになった。「脱原発をめざす首長会議」の設立総会に出席する前に寄って下さったそうだ。実は三上さんこそこの首長会議を一から企画立案された方のようで、設立総会の世話人をされている。(今週と来週のフライデイで特集されているので是非お読み下さい。) 資料とお土産のうなぎパイをいただく。
 全国の各地域自治体から脱原発への取り組み、電力資本による支配からの自立の取り組
みがなされていくことは、心強い限りである。                

 午後、増山麗奈さんのお絵描きパフォーマンスが始まりました。先日行った時と同様のお仲間とです。「ふみえ」さんはお二人のお子さんを連れてこられています。
 今回はBS11の取材スタッフも同行してビデオ撮影。放映は5月22日だそうだが、麗奈さんはスタジオで生出演されるので、椎名さんも出演できないものか相談してみる。返事はまだですが、OKならばテントひろばと「とつきとおか」の活動をアピールできる良いチャンスと・・・。
 麗奈さんをを中心に「WAPA」という芸術集団の活動を行っているそうで、テントでの拠点担当を仰せつかりました。この「お絵描きパフォーマンス」はこれからも続けて行き、「とつきとおかのテント行動」のためにもテントひろば全体の存続においても、今以上にテントの認知を広げていくその一助にしたいと思います。
 今日の麗奈さんのモチーフは「鯉のぼり」。鯉のぼりに乗った親子四人が原発のない空を駆け巡るという画となっていました。時間が押してしまいテントひろばでの完成に至らなかったのが残念。この日に活躍したのはふみえさんのお二人のお子さん。シャイだけどしっかり自分の意見を言う男の子とお母さんの才能を受け継ぐ色彩感覚豊かなお嬢ちゃん。元気な声がテントひろばの晴天の空にこだまします。テントにいる老若男女も二人の虜です。輝く笑顔がいっぱいです。一時の平和な時間。
 武藤類子さんが久しぶりにテントにいらしてくれました。
 第二テント奥では類子さんを囲んで話の輪が広がります。そこへ先日も来て下さった澤地久枝さんがお一人でお越しになりました。早速、類子さんと引き合わすとハンストをされている皆さんと並んですわり歓談を。さらに僕とも20分ほど二人だけでゆっくりとお話下さいました。感謝!
 澤地さんからはテントひろばの有効性や福島の皆さんの悲惨な状況に対しての政府・東電の対応のひどさをお話下さり、僕からは渡利での日本ペンクラブの集会での福島の女性の訴えを話させて頂きました。
 『著名な文筆家の皆さんはもっと意見を、そして原発の問題と福島の窮状を広く発信して欲しい』とのその声をお伝えすると、「文章書きはその発表の場が限られてきている。しかしそれにも増して声をあげる時でもある。」このような内容のお話をして下さいました。最後に浅田次郎さんと同様に、この場所にテントが立っていることへの賞賛を改めて頂きました。5月2日にはハンストに参加するとおっしゃるので吃驚!さっきこれから病院に行くと言ってたではないですか・・・。
 夕方から若者たちがテント前で替え歌大会を始めました。その名も『ハンスト応援&連帯!反原発替え歌大会』。これがなかなか秀逸な詩の連続で中でもテントの仲間、M君の9曲の力作は皆さん一度お聞きに来て頂きたい!次回も予定していますから。
 とそこへ昨日から首相官邸前で「完全ハンスト」を行っている若者が訪れてきました。何と水も飲まないとの事で皆、心配をするのですが本人は至って元気にしているのが反って辛くなります。他に二人が座り込みをし、そのサポートに何人かの方がいるようでした。しばらくテント前で話をして官邸前に戻って行きました。
 そして最後の来訪者は福島の黒田節子さんと「グリーナムの女たち」の訳者である近藤和子さんが。節子さんは相変わらずしっかりと落ち着いた話口。和子さんとも3月11日以来の再会です。ひとしきりお話をしてお二人がお帰りになった時、空を見上げると財務省の上に明るく三日月が輝いていました。                             


<テント日誌 特別編 大飯現地から>
   戸別訪問で住民との対話
   26日の住民説明会アクションに100名

◎反戦老人クラブ滋賀の高瀬です
23日から大飯町に泊り込み、テント村の人々との交流、戸別訪問によるビラ配りをしました。
1.戸別訪問
 大飯町は、大飯町と名田庄村が合併してできました。
 大飯町は原発賛成が多かったが、名田庄村は圧倒的に反対が多かった と聞いていたので、名田庄村を重点的に回りました。
 地形図を見ればわかるように、名田庄村は山で大飯町とは隔絶されており、合併するなら、小浜市との方がいいのじゃないかと思えます。
 何らかの意図があったのでしょうか? 町民の意見を大別すると、
「原発がないと生活できないから再稼動してもらいたい。」
「当初は反対だったがやむを得ず賛成になった。いまさら心をかき乱さないでほしい。」
「あんな事故があったのだから、絶対動かさないで。」
 強い口調で噛み付くおじさん、影で応援していると言う人、時岡町長と関電の癒着を激しく非難するおばあちゃん、ポスティングでなく、多くの声を聞けたのは成果でした。
 尚、このビラをもっての戸別訪問は、メンバーチェンジして25日、26日午前まで続けられた。
2.テント村
 最初にテントを設営したのは、埼玉から原付バイクで22時間かけてやってきた青年です。当初は、運動内部でも先走りという意見もありましたが、今はすっかり定着しています。
 国内メディアはもちろん、ドイツ国営テレビやフランスからも取材がありました。
 福島や伊方からも激励に来ました。
 地元の方も、「よくやってくれた」と言ってくれたり、差し入れしてくれたり。
 漁業組合との約束があるので、泊が停止する5月6日未明以降に撤去します。
 再稼動への動きをにらみながら、別の場所に再度設営します。
3.住民説明会
 24日に下見に行った時は、会場へ行く出入り口は全て閉鎖されていました。
 警備員が歩哨のように配置されていました。何人かの人に聞くと、全員県外から来たそうです。600m×200mの広大な敷地に、5棟の豪華な建物があります。
 24日時点では、大半の住民は自家用車、車で来られない人は3台のバスで来る という情報でしたが、直前になって歩行者・自家用車は不可になり、全員貸し切りバスで到着しました。
 26日当日、雨の中、正門前に県内外から集まった人は100人弱。
 開会時刻の19:30には会場に近い通用門前の歩道に移動。
 出入り口をはさんで警備の警察とやり取りしているうちに、
 彼らが挑発的に開門し、若い人たちと激しい揉みあいに。
 22時近く、20台を越えるバスで住民が帰るのを見届け解散。
 住民説明会に要したお金は2600万円だそうです。

 説明会の様子はさまざまな報道でご存知だと思います。
 現地でメディアの人に聞いたところでも、予想以上に、不安や疑問の声が多かったようで、言いたいことを言えない閉塞感に満ちた壁に、戸別訪問で小さい穴をあけられたのではないか  と自負しています。
 再稼動への儀式を目論んでいた推進派にとってはむしろブレーキになったのではないでしょうか。

当面の福井での予定
5月1日 小浜市住民説明会
5月5〜6日 テント撤去
5月12日 福井市役所横の中央公園で集会(詳細未定)

◎Qより
 26日の大飯町総合運動公園での原発再稼働にまつわる経済産業省副大臣柳沢の住民説明会は地元の方々になにをもたらしのだろうか?
 嶺南は、Qの観点では伝統として、渤海帝国と古代王朝との蝶番になっていたルートの上にある。このルートは、朝鮮半島南部の文化共同体としてのヤマトとは、母型が違う。裏日本という一種の蔑称はあながちまとはずれではない。1945年以降アメリカが太陽とすればここは月だ。カリフォルニア州にある原発の三倍が福井県に集中している。ここは一種の原子力村であり、世界の核開発推進センターの実験場にほかならない。
 大陸の文明の要衝という伝統にとって、アメリカ・フランスの核開発戦略をとるかドイツ・イタリアの反・脱核開発エコロジー文化をとるか、説明会の反応を知りたかった。

 以下は福井新聞の我々の行動の報道した記事である。
 
 反対派「公開しろ」「経産省の人間出てこい」「門を開けて公開しろ!」。‐。雨が降りしきる中、関西を中心に、約80人の反原発団体のメンバーらが集まった。説明会が始まった同7時30分すぎ、男性数人が公園内に入ろうと、入り口におしかけた。うち男性一人が柵に上がり「中にいれろ」「責任者を出せ」などと叫び警察官と口論になった。同8時すぎ、男性が柵を乗り越え公園内に入り込んだ。
この運動の仕掛人はUさん大飯テントの創設者もそのひとりだった。万歳と叫ばせられたうえに、福島原発のようなことになる。地元の人々とともにできる限り抵抗したい!犠牲者になってからでは遅すぎる。「男性が警察から柵の外に出される際に、ほかの反対派が一斉につめかけ揉み合いとなった。
「人殺しに加担するのか」と怒鳴り声も飛び交い、騒然とした雰囲気に包まれた。揉み合いが一段落したあとも、説明会が終わる9時頃までにらみ合いが続いた。
 また、説明会に参加する町民が公園に入ろうとしたさいに、原発の危険性を訴えるビラを手渡したり、足早に会場に向かう町民の背中に向けて柵越しに「国は事故が起きても責任を取ってくれませんよ」と声を掛ける姿もあった。(藤田尚久、別司愛実記者)

  町議会町会などで意見を集約、町長に伝える段取りにはなっている。しかし、説明会のまえに町議たちと電源三法交付金の懇談会がひらかれ、停止していても8割分交付することなど約束されたもよう。交付金に縁のない近隣こそ深刻。現状で再稼働は無理だ。
              











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経産省前テント広場から発信された情報40

2012/05/01 21:42

<テント日誌 4/22(日)――経産省前テントひろば 225目>
    ハンスト6日目、冷たい雨の中続く静かな抗議
      〜(原発ゼロまで後14日)〜
   
 ハンスト6日目のこの日、東京地方では、昼過ぎくらいから、降ったりやんだりの天気。今日は4名の方がハンストに入られている。
 この日は、天気が悪かった事と小出先生や広河隆一さんの講演の他に、三鷹のデモ、代々木公園のアースデーのイベントとパレードなど、都内で様々な催し物が開催されていたためにテントにいらした方はあまり多くなかったが、ハンスト中のMさんの話では、早稲田大学のジャーナリズム専攻の学生さんが取材に来てくれたと言う事だった。「ただ座っているだけだと、時間が経つのが遅く感じられるけど、取材とか来ると少しは気が紛れる」とMさんは笑いながら話して下さった。
 夕方になって、鎌田慧さんが、撮影のスタッフの方を連れて陣中見舞いに来て下さった。テントの外で暫く談笑をされた後、雨が強くなってきたので、鎌田さんには第1テントの中へ入っていただいたが、ちょうどよいタイミングだったので、26日に予定されている外国人記者向けの会見への出席をお願いしてみた。当日は、会議が有ると言う事だったが、心よく引き受けて下さり、鎌田さん、もしくは、1000万人署名の方から誰か別の方が出席して下さる事になった。26日の会見には、静かなる抗議に込められた「原発の再稼働に反対する強い意思」が全世界に届くように多くの記者の方に集まってもらいたい。
 6時を過ぎ、霞ヶ関一帯は本格的な雨になってきたので、テントの中に入った。暫くして、青山で開催された小出先生の講演会を見に行かれたハンスト6日目を迎えたEさんの奥さんがテントにやって来られた。「ご主人はいつもと変わりませんか?」というFさんの質問に、「いつもと同じですよ」とニッコリ笑って答えられていた。隣に座っていたEさんも笑っていらっしゃった。本当によいご夫婦である。年をとったら私もEさんのような夫婦になりたい。(独身ですけど、残念。)
 日曜の夕方以降は、人通りも少なく、ハンスト抗議中のテントひろばは、静かな夜を迎えた。4月下旬の割には、肌寒く感じられる一日であったが、経産省横の植え込みのつつじは、つぼみが開こうとしている。原発ゼロの5月5日には、つつじの花も開花するのだろうか。座り込みは原発ゼロを迎えるまでのつぼみの様な状態かもしれない。「原発ゼロ」という美しい花を咲かせるために、経産省前テントひろばでは明日以降も静かな抗議が続く。
                

<大飯原発監視テントから>
 ここ大飯は昨日から春嵐で浜風海風山風逆巻いています。今日雨にも負けじと再稼働許すな緊急集会が対面の岬小浜市泊のくさはらで催されました。大自然の威力まで仇のように雨風と闘わねばなりません。集会は1日として漁民農民は毎日です。そして巨大な原発工場で働く被ばく労働者は〓 小浜 から泊までの送迎バスで甲状腺ガンに悩む被曝労働者が訴えてくれました。いま貴重なお言葉を伝えるスペースがありませんが関西はいうに及ばず全国から集まり、不気味な原発工場を望みながら再稼働粉砕の所感を述べあって、小浜市内デモを敢行。
 農民漁民労働者がみずからデモに立ち上がるその日、自然風土も参加してきました。人力およそ5百馬力それに自然が味方すれば勝敗は明らかでしょう。パラダイムシフトの変更はあの世のことではありません。いま、ここで生きること、これが闘争。全原発基地でテント闘争を〓 大飯の電車も止める自然の力これを核燃料にたよれば凄まじい力を敵にまわす。国家も帝国も核燃料の脅威にはなすすべがない。26日の住民説明会なるものの欺瞞性犯罪性に勝利し告発したい。           
             


<テント日誌 4/23(月)――経産省前テントひろば226日目>
    重たい雨、それでも子供の日は近い♪ 
       大飯に届け福島の声!

4月23日(月) 雨時々曇
集団ハンスト行動6日目。東電管内原発稼動0基29日目、そして日本における商業用原子炉全停止まで13日。

 もうゴールデンウィークも直ぐそこだと言うのに何とも寒い朝です。それでも街路のツツジは花が咲き、サツキも蕾がはち切れそうです。季節は巡ってもう直ぐ五月。そう!「泊」が「止まって」日本の商業用原子炉の火が落ち、全原発停止はもう直ぐなのです。後はどのようにして再稼動を阻止するか?
 そのためにも今日、福島の椎名千恵子さんとテントのY氏が大飯へ向かいました。現地の原発監視テントの支援と福島の生の声を届けるために。テントでは連日ハンストが行われており、十分に支援体制が整わないが皆出来る事をと精一杯の努力を重ねています。ハンストの参加者も増えてきました。
 その中で今回の「大飯原発再稼動阻止!ハンスト行動」の発案者である、江田さんが6日目を迎えました。途中、体調が心配されたのですが、今朝お目覚めになった時にお会いすると不思議なくらい元気で、その後も気の付くこと等はいつものように自ら動き回っています。正に超人!まったくその「言行一致」の精神力には頭が下がる思いです。
 一日中雨が予想されたので、抗議行動は第二テント前面の幕を開けて、中に座って頂くことにしました。全員で6名。その他、自宅でのハンストが数名。女性も参加されているが、皆さん意気軒昂です。江田さんも含め高齢の方もいらっしゃるので、朝一番にするのは支援の看護士さんが用意なさった血圧計の測定です。皆さん慎重に3回くらい測って平均値を見ておられます。
 午後、増山麗奈さんがもう一人の女性の画家とドイツ人の映像作家・作家の方とお仲間をお連れしてテントにお出でです。ドイツ人はラルフ・ニーマイヤさんといい、28日の明治大学リバティタワーで行われる「戦争と貧困をなくす国際映像祭」に参加される方でした。
 インタービューが終わってから雨が降っていたのですが、テントの外で即興のお絵かきパフォーマンスが始まりました。麗奈さんはペンギンをモチーフに可愛い絵柄の「No-nukeイラスト」を。ふみえさんとおっしゃる女性画家はあの福島第一原発の情景をお描きになったのですが、雨に打たれ、画紙にも雨が降る中、その雨粒が水彩絵の具と相俟って、とても印象的な雰囲気をかもし出す素晴らしいものになったのでした。僕も触発されて、朝見たポピーの花を4基の福一原子炉に見立てて久方ぶりに絵を描いてみました。つたない絵ですがお二人にインスピレーションを受けながら本当に楽しい時間を過ごす事が出来ました。
 お二人も楽しいと言って下さり、又の機会を作ろうと意気投合して終了しました。最後には麗奈さんから僕への思いがけないプレゼントも・・・。ニーマイヤーさんとそしてテントのT女史からも頂いたのだ。何とも嬉しい日になりました。
 何としても再稼動を阻止して、来る五月五日の子供の日に原発のない日本をプレゼントしたい。卒原発!
                            

★「大飯原発再稼働ヤメロ!集団ハンスト行動  外国メディア記者会見」
  〜チェルノブイリ原発事故26周年、テェルノブイリとフクシマを結んで〜 
  4月26日(木) 午前10時半〜  テント前  ※鎌田慧さんも出席の予定            




<テント日誌 番外編 大飯行き報告 4/23・24>
     海辺の長閑なたたずまいの中にも
     風雲急を告げるのか・・・・大飯        

 4月23・24日、たんぽぽ舎の大飯原発監視テント支援行動に椎名さんとともに同行して大飯へ。浜岡原発を考える静岡ネットワークの鈴木さんも一緒だった。総勢15人。
4月23日。快晴。大飯に近づく車中から見る緑色の海の美しさに驚嘆。そしてリアス式海岸の風光明媚にうっとりする。
駅に着いたところで、もう10日間も経産省前テントからこちらのテントに応援にきているQさんのお迎え。京都・滋賀から現地入りしている古くからの友人も迎えに来てくれている。そして福井県民会議の石地さんの運転で一路、テントへと向かう。立派な長い橋を渡って大島地区に入り、長閑な漁港風景を見ながら、テントに着く。テントの前は運河のように陸に入り込んだ海で小さな漁船のたまり場となっている、。
 大飯は本当に海が美しい。そして海の幸に恵まれた長閑で、癒されるような町・・・原発さえなければ。その原発は3方を山に囲まれた海辺にあり、住民からは見えない。人口は9000人だそうだ。
 テントは7〜8張りに増えていた。可愛い小さなテントが5つ並び、少し離れてやや大きめのテントが2つ建っている。顔馴染みの埼玉・入間の方もマイテントをかついでやって来ているようだ。滋賀の堅田教会や西東京教区の方もテントを建てている。ただ茂みや木立に隠れて、意外に慎ましやかというか、風景や雰囲気に溶け合っている。村長のU君が日焼けした顔で迎えてくれる。かって経産省前テントでも毎日のように泊まり込み守っていた。久し振りの再会であった。Yo君も随分健康そうな雰囲気である。
 テントの前で石地さんが大飯の状況を説明して下さった。この間、4回にわたって住民への対面でのアンケートを行ったそうだ。何が最も心配かと。1番目は大飯原発が福島第1原発のようになりはしないかであり、2番目は子や孫の世代に負担を強いることになるのではであり、3番目が雇用ということであった。(大飯原発で働いていた息子さんが仕事が無くなって今は福島原発に出稼ぎに行っているというやるせない話も) どこの世論調査だか忘れたが、原発や再稼働に反対、もしくは疑問に思う声が30数%に達しているという結果もあるそうだ。
 京都から持ち込まれたビラを手分けして家ごとの配布に向かう。そのビラ配りでは、何人かのシニアの漁師さん達から話を延々と聞いた(聞かされた?)ことや、お婆さんからみかんをもらってお話したとか、椎名さんのように広島でのアクションがTVで放映されそれを観たという方との話が盛り上がって、とか、結構交流もあったようだ。明日は住民説明会に向けた資料入りのビラを配布する予定だそうだ。
 テントには音楽をやっているという若い6人連れが大阪からやって来ていた。昨夏の福島での音楽大会にも出ていて、それを椎名さんが観ていたということで意気投合。さらにその中の1人は椎名さんと福島の同じ町の出身ということで大感激。早速椎名さんの指導でカンショ踊りが始まる。若者達も気に入ったようで、今度大阪でもやろうと盛り上がる。
 ちなみに、このテントには中嶌哲演さんや大阪の小林圭二さん(石地さんは彼を福井の恩人だという)も訪れたい気持ちを持っておられるそうだ。
 民宿へと移動する途中出くわした子ども達は、水辺で遊びながら大きなナマコを捕っていた。民宿で経産副大臣を迎え撃つアクションを終えて駆けつけた京都の長谷川さんと合流。食事後の交流会では、 大飯再稼働阻止に全国の全精力を傾けて取り組むこと、現地での体制や全国への発信、26日の住民説明会への対応、福島からの働きかけや、全国との連携、最後にはXデーの際の全国結集での現地行動にまで話は及んだ。
 尚、町民以外は厳禁の住民説明会は会場周囲にロープを張り巡らし、厳重警戒下で、参加者には身分証明書の提出を求めるなど、一種戒厳状態で行われるようだ。700人の町民が申し込みをしているそうだ。

 2日目は朝からPR館の見学へ。1人、PR館の脇の階段を降り、そのまま進んで海岸へ。海水浴場が続き、その隣に大きな整備されたキャンプ場。海を隔てた向かい側に原発の施設の一部が見える。海から物資を搬入しているのかおおきなクレーンも。キャンプ場と道路の反対側には関電の3階建てレストハウスが建っている。上層部が利用しているとか。
 町役場に向かうバスの降り際に、運転手さんははっきりと原発に反対であり、再稼働に反対だと言った。誰かが慌ててたんぽぽ舎作成の資料を手渡しに行く。
 11時頃町役場に行き、町長(企画課が対応)と町議会(議会事務局が対応)に申し入れする。反原発自治体議員・市民連盟の申し入れ書を読み上げ、椎名さんが福島の現実を訴えて再稼働を認めないよう要請し、鈴木さんが浜岡原発に隣接する多くの自治体が永久停止を求めていることを説明し、経産省前テントひろばからも全国・全世界の人々の望みに沿うよう、そして若狭が3・11後の浜通にならないよう選択すべきことを訴えた。
 申しれを終えて、町役場の前で記念撮影をしていると、福島から弾丸バスで8人が到着。朝4時に出発してきたそうだ。佐藤幸子さん、佐々木慶子さん、そして若いお母さん達、男性2人は福島大の学生。一緒に記念撮影をする。福島隊はテント応援と福井県への申し入れに来たのであったが、こちらから連絡して急遽大飯町役場への合流となったのである。そのまま町役場に申し入れに行った。後ほどわかったことだが、この申し入れに熱が入り、1時間半程も話し込み、テントに向かう時間が無くなり、4時からの県への申し入れに向かったとのことであったそうだ。テントの皆さんにはまたの機会に。
 今回の大飯行きは中味の濃いものであったと思う。帰りの電車の中で椎名さんは言った。また一つ、運動が前進したように思う、と。
                                            



テント日誌 4/24日(火)
経産前省テント広場―227日目 淡々とした中に激しさを秘めて

 4月17日のハンスト宣言からちょうど一週間目を迎えています。最長の七日間を宣言して冒頭からハンストに入っていたEさんが無事貫撤されました。体調を気遣う周囲の人が逆に励まされるという中で見事にやりぬきました。Eさんはあらかじめ最長の日数を決めておかなければもっとやったと思われほどですが、無意識のところも含めれば身体への負荷は相当なものと推察されますから体調の回復に努めてもらいたいと思います。
それから、血圧が相当高くなったと伝えられるSさんのことも心配です。僕らは高齢者が多いので、身体と意識に相当なギャップが生じているはずです。若い時の経験では測れない身体の衰えも来ているところがあるはずで、それは意識を身体に合わすように修正して行く他ないところがあります。内輪をさらせばいろいろのことを抱えながらの集団ハンストですが、ハンスト参加を登録した人は現在のところ70名を超え、毎日テント前で座り込んでいます。
 
 5月5日までの第一次行動として展開されている「集団ハンスト」ですが、真ん中にさしかかる手前の今が一番のきつい時期ともいえます。それでも、テント前には新しい参加者も増え、淡々と遂行されています。せめて、天候が春を思わせる陽光にでもなってくれたらと思うのですが、ぐずついたところから一向に脱出できないでいます。春の
天候が不安定なのは致し方がないとしても、春らしさを感じられたらいいのにそれがないのです。天候は人々の気持ちに反映するわけで残念です。23日と24日は大飯原発の現地での行動が気になります。現地からの行動が断片的であれ伝えられるたびにこちらも元気づけられます。「現地はどうなのだろう」という会話もあり、「椎名さんが行ったのがよかったらしい」などの話で盛り上がります。現地のテントも7つになったとのことですがうれしいことです。原発の立地する現地の人はなかなか声をあげにくいのが現状でしようが変化の兆しが伝えられます。

 僕もこの淡々とした座りこみに加わりながら、見えにくい権力の動きなどを推察し自問自答をしています。テントに毎日のように来ながら考えていることでもあるのです。
               



<テント日誌 4/25(水)――経産省前テントひろば228日目>
    集団ハンスト行動 中盤を迎えて盛況に
    大飯もいよいよ正念場に

 4月25日(水) 晴れ後曇り 夕刻より雨

 大飯から帰ってきて翌日、今日から3日間ハンストとあって正午に遅れ気味にテントに到着。3日前の時点では、この時期のハンスト参加登録者が少なく、寂しくなるかと心配であったが、着いてみるとハンスト装束の方々が10人も並んで座っていた。で、11人目ということに。中には、大阪からやってきたという飛び入りの若い女性も。そしてハンスト参加登録者は85名に達しているという。
 今日も遠方から来訪されている。沖縄から「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」の高里鈴代さん、そして北海道の方、福島の郡山市の方、等々。集団ハンストは着実に全国に浸透し、広がっているようだ。ハンスト応援の座り込みも結構な人数である。
 午後、大きなデモ隊がテントの前の桜田通りを通っていく。TTPに反対する農業団体を中心とするデモで、都道府県ごとにかたまり、12挺団まであった。エールを交わす。デモ隊の中から原発反対のコールが起きることも。
 デモの終了地点から再び日比谷公園にとって返す人たちの一団がテントの前を通る。資料を受け取っていく人、カンパをしていく人、バッジを買っていく人・・・、中に、福島の20km圏内の者だと言いながら駆け寄り、握手していく年配者もいた。
 1次産業・農業という視角からみると、原発とTPPは同じ糸で結ばれているように見えてくる。
 夕方から雨となり、ハンスト者もテントの中に座る。明日はチェルノブイリ26周年。外国人メディア記者会見の予定。                                                
<大飯原発監視テントより>
 4月25日4時福井県庁舎6階大会議室にて第71回原子力安全専門委員会があり、大飯テントより三人参加。他の参加者やマスメディアへ、26日の住民説明会への監視テントの一員としてのUさんの呼び掛け文を配布する。地元の学識者と関西電力、原子力安全保安院の三つ巴の外部に地元に本当の当事者がいる、そして大いなる生態系が横たわっている。金でまるめこまれそうな沈黙を強いられがちな善人のためによそものはお助けしたいのだ。地元の人々のカンパも届きはじめている。明日が正念場だ。         

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経産省前テント広場から発信された情報39

2012/04/23 09:21
<テント日誌 4/18(水)――経産省前テントひろば221日目>
    全国に広がりゆく連帯の輪
    明日19日は澤地久枝さん&鎌田慧さん、山内徳信議員がテントへ

 4月18日(水) 曇り時々晴れ 夜一時雨

 集団ハンスト行動は2日目を迎える。ハンスト者たちはまだまだ元気で、ピンピンしている。
午前中に嫌がらせか悪罵を投げつけてわめき立てていた者がいたが、順調に2日目へと。
 東京新聞は一面に写真入りで昨日の記者会見の模様を伝えていた。昨夜のNHKの21時のニュースでも3分間ほど放映したそうだ。他の新聞、TVはどうだったのだろう。
 今日のハンスト参加者は12名、うち6名が終日テントの前で座り込み、自宅でハンストという連帯の輪は広がり、長崎、愛知などからも申し込みが届いている。昨日48時間ハンストを宣言した服部議員は、国会活動を行いながら、ハンストを貫いている。
 さらに多くの方がハンストに参加されるよう呼びかけたい。とくにテント前で終日座り込みながらの参加者を求めたい。集団としてテントの前でハンスト行動という、可視化された”意思の塊”ということが重要なのだから。
 明日(4/19・木)には、11時頃に1000万人署名呼びかけ人の澤地久枝さんが鎌田慧さんと激励連帯でテントを訪れる。少し後には沖縄選出の衆院議員の山内徳信さんが来られるそうだ。
なんとかその時に多くの方がテントに参集されてミニ集会ができれば・・・。


<大飯原発監視テントから>
4月18日水曜日再稼働阻止大飯監視テントより
ようやく晴れ上がった素晴らしい日和。原発目指して歩く。あの有名な海水浴場から丘にのぼり、金網ごしにうえから覗く。ひとけのない海辺にはカワウソが、丘の上には鹿が二頭。そんな自然の気配の葉むらごしに原発の屋根か別の建築物の屋根か白く田の字がたにのぞかれる。原発さえなかったら豊穣の海が約束されたのに。
 今日、福井県原子力安全調査委員が大飯町役場にくるという。関西電力から2500万円もらっている連中だ。26日には経済産業省副大臣がくる。生態系を破壊することで金を動かす金色夜叉たちが公然と横行する野蛮な政権。1日も早く再稼働阻止、脱原発を断行せねば、緩慢なる大量殺人は終わらない。テントに結集を!



<テント日誌 4/19(木)――経 産省前テントひろば222日目>

    テントひろばでのハンスト座り込み行動への参加を!

    ハンスト応援連帯座り込み行動への参加を!

 4月19日(木) 曇り。

 集団ハン スト行動3日目。今日のテントひろばでの参加者は6名。

 午前11 時に澤地久枝さんと鎌田慧さんが激励・連帯のため来訪。すこし経って山内徳信、服部良一両議員が合流。テント前でミニ集会。服部議員は正午で48時間ハンストであったが、昨夜の記者との食事会では料理を前に水だけで済ませたとのエピソードも。山内徳信さんは日程を調整して ハンストに入るとの表明。
 午後には 元NHKニュースキャスターのN・Tさんも来訪。テントの前は多くの人が来訪し、座り込み、様々な話も盛り上がり、賑わっている。オラン ダからも若い女性が来訪。
福島の女性 もアピール。富岡町から避難している夫婦連れの方は東京都フクシマ村を見てホッとすると言う。哲演さんも参加された福島での宗教者大会か らの帰路の一団、静岡の人たち、等々、本当にいろいろな人たちが訪れる。
 「アカハ タ」の取材も。

 ハンスト の波は全国に広がり、遠くはイタリア在住の方からも連帯ハンストの表明あり。

こうした静 かな意志の波を、目に見える意志の塊へと凝集し、一つの力としてテントひろばに登場させること、それが東京とその近辺に住まう者にとって 要請されてくるものであろう。「東京(ー霞ヶ関)という現地」での”テントひろば
での集団ハンスト行動”、それこそが今回の行動の企図だった。

 多くの人 が、午前から日暮れまでの終日、テントひろばでのハンスト座り込み行動に参加されるよう呼びかけたい。(ハンスト自体は24時間以上で す。)

 そして、 そのハンストを応援し連帯するテントひろばでの座り込み行動に、さらに多くの人が参加されるよう呼びかけたい。

 5月5日に向かって、ギリギリの闘いとなっていく再稼働阻止の意志と力の盛り上がりをテ ントひろばに創り出していくこと、それはハンスト者の祈りにも似た思いではないだろうか。
           
【カンパのお願い】
  4/17〜5/5の長期間集団ハンスト行動のために、また大飯原発監視テント支援 の ために、カンパを訴えます。

 郵便振替口座  00160−3−267170     

 ゆうちょ銀行 【店名】〇〇八【店番】008(普)5289163    

 口座名義 経済産業省前テントひろば




<テント日誌 4/20(金)――経産省前テントひろば223日目>
    テントひろばはハンスト応援の人々で賑わう
    官邸前行動に1000人!ハンスト者も参加

 4月20日(金) 曇り。
 集団ハンスト行動参加者は、飛び入りの24時間ハンスト者を加えて8名。現在のハンスト参加登録者は57名。
 
 午前11時頃、沖縄の普天間基地爆音訴訟の人々30名程が、激励に来訪。島田善治さんを先頭に、握手の嵐。午後には福島の佐藤幸子が福島大の学生達と20msv/hの撤回を求め、文科省へ。丁度1年前にその要望書を提出したそうだ。17〜18日にハンストを実行されていた佐久間さんを中心に国鉄闘争団と支援者の方々が来訪。テント脇で小集会。福島の森園さんは今日も福島の現実と思いを熱くマイクアピール。
 夕刻、6時からの官邸前行動に参加。ハンスト中の4名も、法被・鉢巻き・ハンスト決行中のボードをかけて参加。若い世代を中心に1000名もの人々が歩道を埋め尽くす。熱いアピールが続く中で、野田首相と同じ小学校で1年先輩だったという方が、校歌を歌うシーンも。
 官邸前行動の後、多くの若者達がテントに来てハンスト者とエール。そして経産省正門前で40〜50名がアピール行動。
★24日〜27日のテント前でのハンスト参加者が現在2〜3名しか登録されていません。
午前〜日暮れの終日、テント前でのハンスト座り込み行動に是非参加して下さい。 

ハンスト参加者から、エピソード; 自転車で通った年配の男性が私に話しかけてくる、「えらい。よくやっている。本当に政府のやることはおかしい。」と。私は「そうですよね、ありがとうございます。あなた政府に抗議の声あげてくださいよ」というと、最初は渋っていたが「そうだな、ちょっとやってみるか」と返事してチャリを走らせて去る。1時間ほど後にまた現れて話しかけてくる。チャリ男「言ったよ、言ったよ。経産省に」。私「何を?」チャリ男「何言ってるの、再稼動けしからん絶対止めろ」だよ。私「経産省の反応はどうでした?」チャリ男「うじゅうじゅ言い訳していたよ」。私「ありがとうございます。これからも引き続きがんばりましょう」。

<大飯原発監視テントから>
 昨日は海岸から丘を上がり、ほぼ真上から原発工場を俯瞰した。海と丘に護られ完全な箱入り娘のように奥房の麗人のように隠されきっている。否応なしにPR館に行かねばならない。
 1、2号基のときは、公園を造るが仕事に差し支えると迷惑だからと足元の大島漁協に300万贈られたという。原発と分かって3、4号基は1600万円にはね上がった。確かに丘の両袖に包み込まれて視界には入らぬが、漁村のこのテントから上がったり下がったりとはいえ、小一時間歩くだけで工場入り口のトンネルにつく。若くこぎれいなキュレ‐タ‐に3作映像を見せて貰い、流暢な解説を聞く。アニメの中に入り、こぎれいなハイテク工場の完璧さを刷り込まれる。
 ここは工場から何キロなの?と尋ねると、聡明な二人の女性が沈黙した。恐ろしいことにすぐそばに小学校がある。集落があり、漁村がある。漁師さんは騙されたんだと呟いておられたそうな。漁獲高も減っている。
 幸福なのは原発防衛に勤む土建屋さんたち。防波堤のかさあげから、巨大なテトラポットの製造設置から危機が活動の触媒となる。麗しの学芸員さん、工場見学できなくなったのは、NYテロからとよどみなく。
 テントから電話、戻って打ち合わせ。昨日、埼玉からテントなど一式担いで徒歩で来訪の御仁5日までいてくださるとのこと。夕刻、日本山妙法寺の平和祈念の行者が被災地まわりのあと来てくださる。明日にはまた西へ旅立れる。絶食されておられます。いまテントは6張になっている。



<テント日誌 4/21(土)――経産省前テントひろば224日目> 
       集団ハンスト行動5日目、意気高く
       テント応援の集い、武藤さんを囲んで和やかに
 
  4月21日(土) 曇り。4月下旬としては随分寒い。日射しがないからか。
集団ハンスト行動5日目、テント前でのハンスト参加者は8名。ハンスト登録者は60名を超えたようだ。(64名) Eさんは遂に5日目に突入。依然元気である。
一昨日は神奈川労災職業病センターの所長もされている斉藤医師の診察があったが、今日は2度目で、亀戸ひまわり診療所の平野医師による診察があった。1回目は高血圧を指摘され対応策を指示された者もいたが、今日はとくに問題なし。明日も来ていただけるそうだ。
 午後2時半頃から、ハンスト応援連帯の座り込み行動に参加される方が増え、テントの前は端から端まで座り込みの人で埋められている。 
ハンスト実行委員会では、4月26日(木)正午、チェルノブイリ原発事故26周年に、「大飯原発再稼働阻止!集団ハンスト行動〜チェルノブイリ・フクシマの経験を結んで〜」と題する、外国メディア向け記者会見を計画しています。詳細は本決まり後、お伝えしますが、ご都合のつく方、ご参加下さい。
 夜、武藤類子さんをお招きしての、「福島と世界をつなぐ〜テント応援の集い 第3回」がスペースたんぽぽであり参加。武藤さんの、六ヶ所村反核燃行動から始まる反原発の活動のお話、どんぐりの森を何年もかかって自力で築かれ、それが原発事故の放射能で奪われてしまったお話等、武藤さんの温かさと信念と無念さ・怒りに包まれた和やかな集いであった。
 その後の交流会は女性の参加者が大半。1人1人の自己紹介の中で、この間テントで顔なじみになっている方々が、どのような経緯でどのような思いでテントに参加されているかを知り、感慨深いものが・・・。

★24日〜27日のテント前でのハンスト参加者が現在2〜3名しか登録されていません。  午前〜日暮れの終日、テント前でのハンスト座り込み行動に是非参加して下さい。                                                












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●「昭和の日」反対!4・29反天皇制大阪集会

2012/04/20 17:49


●「昭和の日」反対!4・29反天皇制大阪集会

□日時 4月29日(日)/午後1時30分〜4時30分/
       集会後、大阪府庁包囲デモ
□場所 エルおおさか(大阪府立労働センター)南館101号

       地下鉄谷町線・京阪電鉄「天満橋」駅から西へ300m
       〒540-0031 大阪市中央区北浜東3-14
       電話 06-6942-0001(代表)    
       案内図 http://www.l-osaka.or.jp/pages/access.html 
□講 師 菅 孝行さん
□発 言 教育条例反対・不起立処分を許さない闘い
     河村たかし発言と南京大虐殺
□参加費 1000円(経済的に厳しい方は受付まで)
□主催 参戦と天皇制に反対する連続行動
大阪市淀川区十三東3−16−12  TEL/FAX06(6303)0449
◆賛同のお願い 賛同費は個人・団体とも1口1000円。
   郵便振込00900−8−168991(反戦反天皇制労働者ネットワーク)

■ 天皇制日本への沖縄再併合40年とは何か
 今年の5月15日、沖縄は「日本復帰」から40年を迎える。沖縄県行政は日本政府と共催で祝賀記念式典を開催し、最重要の記念行事として、11月には天皇アキヒトが「糸満・豊かな海づくり大会」への出席を口実に沖縄を訪問する。明治天皇制日本国家の1879年「琉球処分」による琉球王国解体と日本への併合、昭和天皇制国家による1945年沖縄戦の強要と前天皇ヒロヒトによる沖縄「売り渡し」、1952年サンフランシスコ条約による沖縄の米軍占領継続、1972年日米両政府合意のもとでの「日本復帰」による沖縄の日本への再併合……。日米両政府が沖縄・琉球の軍事植民地化を完成させようとする現在、改めて「天皇制日本への沖縄再併合40年とは何か」を問い直す。

■日本政府と沖縄県の「日本復帰40年祝賀」弾劾
 普天間基地の辺野古移設をめぐって、日本政府と対立しているはずの仲井真知事が日本政府と「復帰40年祝賀式典」を共催する。口先では「県外移設」と言いながら、辺野古移設を進めたい彼の本音を示すものだろう。野田民主党政権は、沖縄振興特措法の本年3月末期限切れを前に、一括交付金制度など沖縄県側の要求を取りこんだ改正沖縄振興特措法などを今国会で成立させようとしている。金で面を張るやり方だ。
 辺野古移設をはじめ、日米両政府は在沖米軍基地強化攻撃を強めている。那覇防衛局は昨年12月28日未明、辺野古移設にかかる環境影響調査(アセスメント)評価書を県庁に強行搬入し、仲井真知事の意見書のあと、最短で6月県議会選挙後に公有水面埋め立て許可を申請する。那覇地裁は3月14日、東村高江の米軍ヘリパッド建設工事にかかわって、反対住民の1人に妨害禁止の不当命令を出した。
 米政府は「辺野古移設が進まない」ことを理由に、従来の「在沖米海兵隊のグアム移転、普天間基地の辺野古移設、嘉手納以南の5基地・施設返還」のパッケージを放棄し、米海兵隊のグアム移転を規模縮小のうえ先行実施することで日米合意した。一方で、老朽化した普天間基地の整備にも乗り出した。パッケージをはずした以上、5基地・施設は即刻返還されねばならないが、米政府は返還を明言しない。
 これらが意味するのは、日本−沖縄人民が反戦・反安保闘争を前進させない限り、米海兵隊は沖縄から動かず、普天間基地は固定化されたうえ、辺野古新基地が造られ、嘉手納以南の5基地・施設は返還されないということだ。「復帰40年祝賀」は、在沖米軍基地強化を「祝賀」するものとして準備されている。

■野田政権の中国・「共和国」軍事対決を許すな
 米議会が再三打ちあげる「海兵隊不要論」「辺野古移設は非現実的」などを根拠に、「県内移設反対の沖縄の民意を米政府に突きつけるべきだ」式の、日本政府の「対米弱腰外交」を非難する論調が盛んである。しかし、これはまったく当たらない。「抑止力としての在沖米海兵隊の維持」「辺野古移設」は単なる対米従属ではなく、野田政権と日本独占資本にとっての安保・外交戦略でもあるからだ。
 野田政権は、中国とは釣魚諸島(尖閣諸島)の領有、東中国海の海底油田開発、レアアース・レアメタルの獲得をめぐって、朝鮮民主主義人民共和国とは「拉致」「核開発」「ミサイル」を理由に敵視と軍事対決を強めている。昨年末の「新防衛大綱」「中期防衛力整備計画」は南西諸島への自衛隊配備を具体化した。石垣市教委・与那国町教委による右翼教科書=育鵬社版「公民」の強引な採択(八重山地区教科書採択問題)はその最前線からのイデオロギー攻撃であり、その背後には文部科学省、とくに森裕子副文科相(拉致議連)が存在する。宜野湾市長に極右・日本会議の佐喜真淳が当選した。「在特会」が辺野古の浜に登場し、幸福実現党が台頭するなど、日本政府の中国・「共和国」を仮想敵国とした
戦争国家化に対応して、沖縄・琉球にも反動的社会状況がつくられつつある。

■軍事植民地化の完成を狙う天皇訪沖を許すな
 前天皇ヒロヒトは沖縄戦責任を追及する沖縄人民の反ヤマト(日本)・反戦・反天皇制の闘いによって、決して沖縄に踏み込むことはできなかった。沖縄人民はヒロヒトの沖縄上陸を阻止し続けた。それに代わったのが現天皇アキヒトである。アキヒトは皇太子時代の1975年沖縄海洋博に名誉総裁として、1987年沖縄国体に天皇の名代として沖縄に上陸し、天皇即位後は93年、95年、04年と訪沖を重ねた。その際は必ず摩文仁の国立戦没者墓苑を参拝し、沖縄戦の聖戦化、天皇制の沖縄戦責任の清算、摩文仁の「靖国」化を画策した。アキヒトの「復帰40年祝賀」訪沖の狙いは、日米両政府による沖縄・琉球の軍事植民地化の完成に向けて、沖縄−日本人民の日本国家への統合を果たすことであるだろう。
 仲井真知事は首里の第32軍司令部壕跡の説明文から「軍隊慰安婦」「日本軍による住民虐殺」「女性軍属」「捨て石」の記述を削除し、壕そのものを埋めつぶすことも画策している。沖縄戦の真相を隠ぺい・改ざんしようとする沖縄県行政の動きは天皇アキヒトを迎える準備である。それは、沖縄側から、沖縄人民に根強い反ヤマト(日本)・反戦・反安保・反天皇制の意識を解体して「皇民化」を進める動きと言わねばならない。
 辺野古移設阻止をはじめとする沖縄人民の反戦・反安保の闘いは、いま重大局面にある。この状況にかかわって、沖縄・琉球の軍事植民地化を阻止する第一義的責任は日本人民にある。日本人民の反戦・反安保の闘いの弱さこそが最大の問題である。沖縄・琉球、グアム、韓国、アジア人民と連帯した反戦・反安保の闘いをともにつくりだしたい。
 4・29反天皇制大阪集会への結集を!



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経産省前テント広場から発信された情報38

2012/04/19 17:58
<テント日誌 4/12(木)――経産省前テントひろば215日目>
    大飯へ、伊方へ――緊張感と慌ただしさを増すテント
    17日(火)正午 集団ハンスト開始記者会見に結集を!

 4月12日(木) 昨夜の雨から打って変わって晴れ。春らしい暖かさ。
昨日のアクションは、デモに移る頃から雨が降り始め、降りしきる雨の中をテントの前〜国会通りの坂を上がって国会へ。そこからさらに東電→関電→保安院へと糾弾の声を上げながら5kmあまりのコースをやり抜いたようだ。雨の中、参加者は700名。
 今日、テントの中はいろいろな情報が飛び交い、緊張と慌ただしさが増している。テントから福井と伊方への派遣は確認されているが、今日の4閣僚会議で今日にも結論を下して13日に枝野が福井に行くというシナリオも。福井県庁でのアクションが福井現地の人達と関西の人達によって準備されているようだ。
 大飯の、「大飯原発監視テント」への応援もある。京都の友人からのメールによると、京都の人達も同じ場所にもう少し大きめのテントを数はり建てる予定だという。大飯原発の前に一大テント村が出現しそうだ。福島の飯舘の人々もテントを建てたいと言ってるという。全村避難を余儀なくされている飯舘の人々の思いに心を打たれる。
 大飯には再稼働阻止の現地行動事務所も設立され、大飯町民との交流・勉強会や全国脱
原発交流会に取り組んでいくそうだ。たんぽぽ舎は4月23・24日に大飯へのツァーとテント応援・交流を呼びかけるという。大飯原発の前に、再稼働阻止・脱原発の全国交流拠点が生まれるのだ。
 夕刻からの首相官邸前行動は140名の参加で力強く行われたようだ。その集会の最中に4閣僚会議の結論持ち越しが伝えられ、喚声が湧き上がったという。官邸前行動は、13日(金)にも、16日(月)にも行われる。
 17日(火)には正午から、テントひろばの集団ハンスト行動がいよいよ決行である。ハンストは記者会見とともに開始される。記者会見には既に国会議員5名、1000万人アクション呼びかけ人2名、中嶌哲演さん、広瀬隆さん、神田香織さん、上原紀美子さん(国立市前元市長)、原発いらない福島の女たち 等々の出席が確認されている。まだまだ増えそうである。
 ハンストとは関係ないが、東京スポーツのWeb版に、沢田研二が脱原発ソングを歌っており、「ジュリーは近々、脱原発を訴え経産省前でテントを張る人たちを応援するため同所を訪れる予定だというから、その『本気度』がわかる。」 という記事があった。
 17日(火)正午、テントひろばへの大結集を!
            

<テント日誌 4/13(金)――経産省前テントひろば216日目>
     首相官邸前に1500人、経産省前でも遅くまで抗議
     福井へ、大飯へ  集団ハンスト準備も着々と

 4月13日(金) 崩壊中の福井第1原発の様々な不具合と不安状態が伝えられている。とくに4号機の燃料プールの冷却水低下は、重大事態へと至りかねない不安を抱え込んでいる。「事故収束」など真っ赤なウソである。そういう中、4閣僚会議はインチキでインスタントな安全基準をでっち上げて、大飯原発の「安全」を確認し、再稼働に踏み切ろうとしている。
 いよいよ今日の閣僚会議でその政治判断を下しそうだ、ということで、首相官邸前行動には1500人の人々が集まった。官邸の向かい側の記者会館前歩道、その向かい側の議員会館横歩道に人々がビッシリと立ち並ぶ。その最中に閣僚会議の「政治決断」と枝野の福井行きが伝えられ、怒りは絶頂に。
 官邸前行動の後も、テント横の経産省正門前では40〜50人が遅くまで抗議の声を上げる。
 枝野の福井入りに対する県庁前行動に向けて、テントからも何人かが明日出発。京都の友人から、京都からはバスを仕立てて100人程で行くとの連絡が入る。そして15日に何人かで大飯現地に行くそうだ。福井には枝野の他、仙石が県議団工作に行くようだ。「チーム仙石」の行動なのか。
 17日からの集団ハンスト行動への準備も着々と進む。17日正午からのテントひろば記者会見には、国会議員や1000万人アクション呼びかけ人や中嶌哲演さん、広瀬隆さん、元国立市長上原公子さん、福島の女性達、等々の参加で賑やかになりそうだ。沢山の人々がテントひろばに集い、盛大に、賑やかに、ハンスト初日を迎えたい。みずみずしい命の叫びを!
           
<大飯現地から>
大飯原発の足元、大島半島東端に9日夜から建てられた゛原発再稼働監視テントに到着。13日午前11時。毎日大阪判にUさんの横断幕を持った写真入りの小さくない記事がこの日の朝刊に載った。先輩3氏のほか大阪から真宗大谷派の脱原発委員長のご夫妻が先着していて、夕暮れまで対話交流。カンパも戴く。
 入れ違いに若々しいロックミュージシャンが2人、アーティストが1人ボックスワゴンに脱原発とカラフルに大書した車で登場。対話に花を咲かす。原発街道に桜並木。見栄えする所は交付金によるのはいずこも同じ。お若いのに大袋一杯のカンパ食料品。一緒に晩飯。Uさんの飯とカレー風シチューで歓待。
 向かいの土場に簡易小屋がもちこまれ大型のユニックやローラーが整地を始めた。ヤバい気配? 先輩Yさん、この横断幕の目覆いしてんだな、あうんの呼吸で長続きしなきゃな、あんまり見詰めなさんな!とのこと。ふりかえれば、凪の内海。とりたちの低空飛行。
 ああ不知火の海のようだ。京都から週末の釣りを楽しみに、ひとり、ふたり、と。夜釣りだそうな。
こちらは目立たぬように、昔からいたみたいにいたいもの、と。この海の平和と豊穣を祈って、まずは初日のご報告を。




<テント日誌 4/14(土)――経産省前テントひろば217日目>
       東電管内原発稼働0基20日目。

       『本当の幸せは何ですか?・・・』

朝から、17日からの集団ハンストの準備に取り掛かる。江田さんと打ち合わせをしていると、福島から椎名さんが見えました。それに合わせて昨日約束をしていた千葉在住の劇団所属の女性が訪問。一時、演劇話で盛り上がりました。
その後、江田さん、椎名さんと三人で五月五日のこどもの日に合わせた新たな企み?の相談だ(笑)楽しく子供達に喜んでもらえれば嬉しい限りです。
こどもの日と言えば、この日に北海道・泊原発が定期点検に入る予定の日です。そうすれば過去約40年間の歴史の中で商業用発電としての原発の火が止まります。何よりも未来を担う子供達に大きなプレゼントになるのです。まだまだ多くの問題のある原発ですし、政府の言う「収束」を心から信じることの出来ない状況の中、せめては原発稼働が0であると言う安心感を子供達、そしてその親御さん達に感じてもらいたい。いやいやこの思いは全国民のものだと思います。
ふたりから遅れてテントに戻ろうと経産省別館近くまで来ると、何やら大きなメガフォンの音がする。嫌な予感・・・。近くからテントの様子を伺うと、右翼の姿だ。いつもながらの罵声を浴びせている。
何気なくテント前を通り過ぎて観察すると、「平成同志会」とある街宣車1台と3台の乗用車が止まり20人弱の男達。内4人が戦闘服姿。珍しく雨が降る中現れていました。
14時前から15〜20分位いたが、テントからは誰も対応していなく、中に入っているために「卑怯者、出て来い!」と虚しい声を上げるだけ。全く間抜けな画柄だ!一人黙って撮影をする者がいるのだけど、これは公安?右翼?そう言えばいつもの公安がいない。
雨のせいか、テントの対応に「糠に釘」の徒労感のせいか、いつもより早いお帰りとなり一安心しました。
夜になり慌しくしている中、佐藤幸子さんがいらっしゃった。このところ毎日行っている経産省正門前マイクアピールが始まったので幸子さんにも参加頂き、雨で人数は少なかったが、土曜日の灯りの少ない経産省に向かって精一杯のアピールを各自でする事が出来ました。寒い中で、幸子さんの声が心に染みます。
幸子さんは週間金曜日に連載を新たに持ちましたが是非お読み頂きたい。「本当の幸せ」は何ですか?今こそこの問いに国民一人一人が向かい合っていかなくてはならない思いに強く駆られます。
    

<大飯現地から>
 枝野・仙石と福井県知事・大飯町長の会談に釘を刺しにKさんと福井県庁に。そこで、テントひろばのFさん、Aさんと合流。タンポポ舎のTさんも八面六臂の活躍。県庁は福井城の中にあり、関西怒りの太鼓隊が向こうからじゃんべで、緑の党?などが踊りで福井市の時代祭りに消されぬよう奮闘した。
 正面玄関の揉み合いから抗議団から当事者地元の人間3人が中に入れることになり抗議する人々は旗を巻き、プラカードを下げて指示された場所まで後退した。待ちに待って一台の帰り車に猛然抗議、しかしそれはダミーだったらしい。
 が、あのアイリンさん、石地さん、松下さん、小林圭二さんの夕暮れのいてかぜに耐える凛とした表情、大飯のテントでしりあったしんやさんたちの活躍、とりあえず、民主主義ここにあり、若者とテントへ帰ることに。大飯テント二日め、かきたりずすみません。     





<テント日誌 4/15(日)――経産省前テントひろば 218目>
    〜 緊張する再稼働を巡る状況の裏で、

            頻発するテントへの嫌がらせ 〜

 この日は、テントへよく来る差別主義者の団体が、13時〜14時まで北朝鮮のミサイル発射に抗議する集会を開いているという情報を得ていたので、テントに来る可能性がある15時に着くようにテントへ向かった。
 テント前へ着くと、60代くらいの男性が、座り込みをされている数名の方の前を行ったり来たりしながら、メガフォンを肩に下げ、マイクで怒鳴っている。
 「左翼、出てけ〜」(左翼じゃないんですけど…。それにしても品の無い声だ…)
 「人殺し」(殺してませんけど…、名誉棄損です。)
 「キチガイども」(絵的に見ると、あなたの方が…。あ、いかんいかん)
 あまりに内容が酷いので、少しこちらも言い返してみたが、一向に意に介さず、テント前を行ったり来たりしながら、罵声を浴びせ続ける。多少のうるささは我慢出来るが、言っている内容が嘘ばっかり。いい加減にしてもらいたい。
 暫くすると、警察車両か一台たまたま通りかかり、中から警察官が2名降りて来て、間に入って仲裁をしてくれた。差別主義者の男性は、今度は、警察に対して「不法占拠をなぜ許しているんだ。仕事しろ」と因縁をつけ、間に入った警察官も困り果てていた。一方的に罵声を浴びせられ、警察官の方も気の毒である。
 座り込みの椅子などをしまって、火曜日からのハンガーストライキに備えて第3テントの移動を行っていると、差別主義者の男性は、結局1時間ほど、罵声を浴びせ続け、帰って行った。
 テントへの嫌がらせは、三日連続。今日は外国人の方を含め、多くの方にいらしていただいたが、せっかく来ていただいた方に嫌な思いをさせてしまい申し訳なく思う。「同じ事しか言わないんだから、もう来なくていいですよー。」
 その後は、何事もなく、テントに残ったメンバーでビルマ人の方が差し入れてくれたビルマ料理を皆でいただき、無事一日の担当を終える事が出来ました。

 火曜日からテントでいよいよハンガーストライキが始まる。多くの方がテント前ひろばへいらっしゃると思うが、平穏のまま無事5月5日の原発ゼロを迎えたい。5月5日に向け、テントでもハンガーストライキの実施とサポートの他に、大飯原発前テントへのメンバーの派遣、経産省や首相官邸などへの抗議活動などがあり、人手が足りない状況が続く。本日も新たに泊まり当番になって頂く方2名に当番をお願いしましたが、まだまだ多くの方にサポートをお願いしたい状況です。サポート、当番にご協力いただける方は、テントひろばまで、お申し出ください。

★4月15日週 首相官邸前抗議行動の告知
 大飯原発再稼働に関する一連の対応に関し、経産省前テントひろばのメンバーも加わり、経産省・首相官邸への抗議を実施しています。今週は以下の通りで抗議活動を予定しています。

首相官邸前:4月20日(金)18時〜20時頃まで
経産省前:月曜〜金曜まで毎日。19時30分〜1時間。         
<大飯現地から>
 福井県庁の枝野、仙石・西川福井県知事、時岡おおい町長の福井県庁でのボス交渉抗議行動のあと、さらに県庁を出る車への再稼働反対のアピールは、車の包囲行動となり、ミュージシャンのしんやさんなど警備員に持っていかれそうになり、傍でケアしなければならなかった。彼らの動きは凄まじく速いので、車と彼らの間で途方にくれるばかりだったが。
 翌日テントでも、ここまできたからには、と車で走り回っていた。そうこうするうちに、福井県庁周辺の宿で会議をしていた一団が到着、延べ30人を越える来客の対応におおわらわ。F代表とYさんの会談の結果、Qが大飯テントの原発再稼働阻止監視の任務をせよ、とのこと。経済産業省前テントの経験を生かせということらしい。
 枝野の四国入り徳島講演では5月5日以降一瞬原発ゼロ稼働となると公言したようです。Uさんが新聞5紙買ってきてくれました。漁師さんが船出です。  




<テント日誌 4/16(月)――経産省前テントひろば219日目>
     集団ハンスト・記者会見準備への
           慌ただしさと高揚感
     
 4月16日(月) 晴れ。
 いよいよ明日からの集団ハンストに向けて、テントの中は慌ただしさとちょっとした高揚感が漂っている。次々とむしろや法被・鉢巻きが届き、借り入れのパイプ椅子なども、運び込まれる。看板を立てたり、筆書きのハンスト宣言の掲示を用意したりと、準備が進んでいく。
 各新聞社等、メディア関係者への電話がけや、逆に記者やTV局からの問い合わせ電話がかかってきたりと、電話が止むこともない。
 そこへ福井〜大飯へと行ってきたメンバーも帰ってきて、大飯原発監視テント近くでの海釣りの話を聞いたりもする。
 慌ただしくバタバタとしていても、明日からハンストに入るメンバーは、とくに構えるわけでもなく常日頃と変わることなく動き回っている。
 椎名さんから福島での新しいニュースを聞く。先日の女性達の会合で目を見張るような動きが出てきたそうである。これまで放射能から子どもを守るという一点で結びあい、反=脱原発へと踏み出していくことには躊躇し、一歩引いていた若い母親達が、この間の大飯原発再稼働の動きを見る中で、一気に、みんなで大飯に行こうということへ踏み出した、ということであった。現実は急速に人々を教育し、変えていくということの実感。
 夜、明日からの集団ハンスト行動、記者会見に向けて最後の打ち合わせ。明日は是非盛大な初日としていきたい。ハンスト登録申し込みも一気に増えてきた。

【カンパのお願い】
  4/17〜5/5の長期間集団ハンスト行動のために、また大飯原発監視テント支援
 のために、カンパを訴えます。
 郵便振替口座  00160−3−267170
 ゆうちょ銀行 【店名】〇〇八【店番】008(普)5289163
 
 口座名義:経済産業省前テントひろば





<テント日誌 4/17(火)――経産省前テントひろば220日目>

4月17日(火) 晴れ 後 雨。
 今日が集団ハンスト行動の初日。正午からは大規模な記者会見が開かれる予定である。朝から気持ちよく晴れ上がっている。もう10時集合より30分前にFさん、Eさんがやってきて、バタバタと準備を始める。テントの前には、脱原発テントの横幕の下に、「大飯原発再稼働絶対阻止!集団ハンスト」の横幕が掲げられる。
 用意が整う頃、11時半にはもうかなりの人が集まっている。そして揃いの法被を着て鉢巻きをしたハンスト者が並んで座り、正午を期して記者会見は始まった。
 元国立市長の上原公子さんの司会、淵上代表のハンスト宣言で始まる。沖縄選出国会議員の照屋寛徳さんの沖縄の立場をもって反原発を訴え、福島の女たちの黒田節子さんが続く。、広瀬隆さんの紹介で中嶌哲演さんがハンストにこめた、若狭の歴史の深みから立ち上がってくるような思いを語る。
1000万人署名の鎌田慧さん、落合恵子さん、国会議員の服部良一さん、川田龍平さん、福島出身の講談師・神田香織さんが続く。広瀬隆さんは関電のウソを暴き、服部良一さんは、怒りと責任の思いをもって今この時から48時間ハンストに入ることを表明した。この集団ハンストの主唱者・江田さんが大きな広がりをもった運動としての集団ハンスト行動の方向性をアピール。
 メディア関係者が30人程参加し、カメラの放列が並び、そしてたくさんの人々が黒山のように取り囲む。総勢300名程。この日のハンスト実行者は26名。
 記者会見終了後、テント前のひろばで輪になってかんしょ踊りを踊る。様々なアピールが続く。そこへ駆けつけて下さった、早苗ネネさん(ジュンとネネで知られている)が伸びやかな声で歌う。さらにアピールは続く。
 夕方前から雨が降り始め、時とともに本降りに。
 ともかく集団ハンスト行動初日は大成功のうちにスタートした。これを竜頭蛇尾に終わらせることなく、持続する運動、広がりと集中をもって再稼働阻止の大きなうねりと凝集力を創り出していく運動としていかねば・・・・。         ( Y・T )

★福島と世界をつなぐ――経産省前テントひろば応援の集い
・第3回『武藤類子さん車座の集い』4月21日(土)18時半〜20時半 スペースたんぽぽ
 







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経産省前テント広場から発信された情報37

2012/04/15 23:28

<テント日誌 4/5(木)――経産省前テントひろば208日目>
     政府のペテン的再稼働方策に怒りと緊張
     国会通りの坂を行ったり来たり

4月5日(木) 晴れ。
  テントは今朝の報道で持ちきり。様々な新聞がテーブルに置かれている。
本当に野田をはじめ4閣僚(+仙谷)のペテン師振りも相当のものだ。一昨日の会合で政治決断を見送り、暫定安全基準を作ってからと言うので、いくらなんでもそれなりに時間をかけて検討してしっかりしたものを作ってからかと思いきや、インチキもインチキ、既に昨年5月以来、保安院がさしあたりの緊急対策として出して実行されてきたものをまとめただけ。1日で作られる作文が再稼働のお墨付きなのだ。それもベントのフィルターや防潮堤など時間のかかるものは再稼働してからでよい、免震施設もいらない、という。
そして8日にも枝野経産相が福井入りするという。
 
 原発推進勢力はなんとしてでも4月再稼働へと突き進むということだ。その執念たるやすさまじい。福島の人々の苦しみも、また人の命も歯牙にもかけず、弄んでいる。4閣僚はペテン師として人々を欺くというわけだ。
 こうなったらこちらも本当に腹を固めて向かっていかねば、と改めて感じさせられる。いよいよ集団ハンストもさし迫ったものになってきた。

 昼にはインチキ・インスタント安全基準を批判し、大飯原発再稼働に反対する院内集会が行われ、会場に入りきれないほどの人が参加したそうだ。井野さんの説明、後藤さんは電話で話し、超党派の議員連盟からも発言、熱気に沸き返ったという。
 夕方には超緊急官邸前行動があり、80名程が集まる。口々に怒りのアピール、コールを繰り返す。
 その後には、経産省正門前でテント参加者によるマイクアピールが遅くまで続けられる。テントと、国会・首相官邸を結ぶ国会通りの坂を何度も行ったり来たりする一日であった。 明日もまた首相官邸前行動が予定されている。

★テント全体会議
    4月9日(月) 午後7時〜 神保町ひまわり館




<テント日誌 4/6(金)――経産省前テントひろば209日目>
     官邸前歩道を埋め尽くす1000名以上の人々  
     中嶌哲演和尚から佐藤幸子さんへの電話

4月6日(金) 209日目 晴れ 冷風
 大飯原発再稼働をめぐって、連日、官邸前、経産省前抗議集会。日に日に、集合する人々の数が増えてくる。
 
 夕刻には、首都圏反原発グループ(たんぽぽ舎、No Nukes More Heart,怒りのドラムデモ実行委員会など12団体および、諸個人)の官邸前抗議集会は、6時頃から始まり、8時すぎには、1000人に達したと主催者。
 あの四つ角歩道は、4〜6列の抗議する人々で埋まり、通行者は、文字通り、肩身の狭い思いをして通る。「ほんとうにどんな顔して、再稼働手伝ってんだよ!」という声が漏らされる。テントひろばからも、何人も参加したが、あまりの冷たい風に、いったんテントへ戻る人も。しかし、集団の熱気と迫力に、やや陶然としている面持ち。
 
 要するに、政府と安全保安院と事業主で、それぞれ、合法性をでっちあげながら、有権者、地元、消費者をいかにいなすかが、かれらの戦術であり、緊急安全対策、30項目対策、ストレステスト(一次二次)、正当評価、暫定基準とあらゆる実態のない関門をしつらえながら、責任逃れのあのてこのてを画策している。果ては、ナポレオン法典のように、政府こそ法なりと新基準を設けるに至り、処置は電力会社に、一種の無期限でまる投げするにすぎない。
 要するに、実態は、電力会社の科学技術、経営財政、精密機械工場の運営稼働、等々、操作内容を管理・監視・監督しきれない無責任さ、無能性の馬脚を現しまくっている。事故の被害者への誠意ある謝罪も厳正な賠償も果たせぬならば、犯罪集団としか思われぬ大臣の面々。地元福島で、良心的診療所を立ち上げようというある方は、この犯罪集団の悪行を「緩慢なる大量殺人」と評している。
 
 集会のかえりに、佐藤幸子さんがテントに訪れ、電話を頂いた中嶌哲演和尚と語り合われていた。断固反対のハンスト・リレーが、福島の女性たち、テントひろばの同志たちと継承されていることへの謝礼の内容だった。なんという優しい静かな声音だろう!
 
 そのとき、第2テントでは、ハンスト実行委員会の熱い会議中だった。構想中の宣言文下書きには「なんとしても再稼働を阻止し、5月5日を全原発停止の日として、脱原発運動の記念すべき偉大な祝日として迎えよう! テントひろばの集団的ハンスト行動は、このときまでやむことはない!」という決意表明が読める。
 すわりこみから、ハンストへ、一部、巨悪犯罪者の権柄づくの行政執行を、国民は、市民は、人民は、断固、許さないだろう。あらゆる内外の証人の前で、4人にまで追い詰められた行政執行責任者は、すでに民意を反映する代表とはいえず、自首をしているのに等しい。正当な議会を、正当な議論を、正当な事故対策と人命救助を! この虚妄にして悪質な内閣を総辞職させたい! ハンストは、今、テントひろばのみならず、全国津々浦々でも、実行されているにちがいない。



<テント日誌 4/7(土)――経産省前テントひろば210日目>
   『春めいて・・・桜。季節は否応なしに巡っていきます』
   全国に脈々と受け継がれていくリレーハンスト

3時半に目が覚める・・・うううっ寒い!昨日から吹いていた風が春めいて来た空気をすっかり吹き飛ばしてしまったようです。外に出ると歩道が濡れていました。雨も寒さを助長したのかもしれません。
Qさんといつもに増して話をした。その中で印象的だったのは政府を中心として色々な物差しばかり作って、結局は政治決断!との流れについての批判について強く納得出来るものでした。
今日の「散歩」は一人で向かった。官庁や企業の春の恒例行事「お花見」が盛んに行われていて、日比谷公園のゴミ箱には多くのゴミが外にもあふれています。何と「場所取り禁止」の看板の近くのベンチの下にはビニールシートが(笑)
そのままテントに戻ると外務省前の一番桜(注 伊東桜)の花が散って、その代わりにソメイヨシノの桜並木は満開の様相を呈していました。陽が差して来て桜のピンク色がとても美しい♪
樹木と言えば、10時頃になって土曜日にも関わらず経産省正門付近に作業員の姿が多くなりました。建築関係の雰囲気では無いので何んだろうとしばらく見ていると、何と!植木屋さん達だったのです。一時経産省より植木の剪定をするとの話があったのですが、いきなり来たか!と緊張しました。
 正門前の右側(日本郵便側)と塀の内部の植木の手入れをし、大きなクレーンで一本だけ木を植えて作業が終わりました。そのまま終了したので一安心です。
今日は在特会が靖国神社でお花見の情報がありました。酔った勢いで来られたら嫌だなとの懸念が・・・。
午後になって1時から第二回『原発よせ(寄席)』が行われました。出演は柳家千寿さんと柳家三寿さん。僕は出掛けていたので見ることが出来なかったけど、盛況だったようで残念無念。
帰ってみると、太鼓の音が鳴り響いていた。いつもの石橋和尚かなと思ったらお若い方でした。
お一人 で経産省正門前でアピールをされていました。長い間お一人で読経をされ、春めいたとはいえ冷たい風の中、頭が下がる思いでした。
 夕方、『世界ヒバクシャ展』の森下美歩さんがお仲間と見えました。お父様から引き継いだ写真展をご自分の仕事を辞めてまでの決心で、昨年12月と、そして1月に行われた脱原発世界会議in横浜で展示をされたのです。今度、常設展示をするスペースを設けたということでチラシを置きにきたのでした。
是非テントでもいくつかの写真の展示をして頂ければと思うし、まだご覧でない方には貴重なものですので見て頂ければとも強く思うのです。その機会を作りたいと思いました。

今日も沢山の方がお見えになられました。テントを守るという意味では有難く思う限りです。テントが存在することが福島の皆さんの支援に繋がると思っていますし、脱原発の流れを強く牽引するものとも感じている僕としては多くの方々にお立ち寄り頂きたい。時間を見ると18時に。もうこの時間になれば在特会も来ないなと思っていると、思っています。
沢山の方々が脱原発の思いを持って寄り添う場所としての「テントひろば」が、より「民主的」な合意の「場」として広く認知されることを強く望んでやみません。
                                        
 ふくちゃんの福島報告ビデオ?福島からの帰路?  http://youtu.be/uegzVxexseg  ( F記 )

注)「伊東桜」は、鈴木善幸内閣の伊東正義外務大臣当時に伊豆の伊東市から寄贈されたものだそうです。

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リレー断食参加者(注意:福島の女たち以外は氏名公開はしません)
◆4月6日現在◆

3月30日(土)
T.H(神戸)、I.Y(高槻)  計2名
3月31日(日)
黒田節子、M.R、pam、T.N(東京)、M.Y(埼玉)、I.W(熊本)、I.Y(高槻)、ふくちゃん(東京)テント前で数名   計約10名
4月 1日(月)
椎名千恵子、I.Y(高槻)、あいちゃん(東京)、M.M(大分)、M.Y(埼玉)、I.W(熊本)、M.S(松本)、I.Y(高槻)、医療従事者(福井)、テント前で約10人ぐらい、他7人   計約25名
4月 2日(火)
武藤類子、I.Y(高槻)、H.A、M.M(大分)K.A(東京)   計5名
4月 3日(水)
佐藤幸子、佐々木慶子、M.M(大分)、T.T(静岡)、ふくちゃん(東京)  計5名
4月 4日(木)
森園かずえ、M.M(大分)、K.Y(東京))   計3名
4月 5日(金)
地脇美和、木村結(東京)、他3人     計5名
4月 6日(土)
A-G(静岡)、K.M(東京)、Xさん(静岡)、Aさん、M.T(大阪)、I.T(松岡)、Mimi(神奈川 )   計7名




<テント日誌 4/8(日)―― 経産省前テントひろば 211目>
    報道統制の中、原発再稼働に向けて加速する動き
    再稼働阻止に向けての正念場
    
 この日は、宿泊担当だったが、4月27日から経産省周辺で、単独でハンガーストライキを実施するというYさんと、映像作家のOさんと14時に待ち合わせをしていたので、少し早めにテントへ向かった。
 Yさんは、昨年末に勝俣会長邸の近くで、飲まず食わずのハンガーストライキを行った20代の若者。
14時半から、Oさんが、Yさんにハンガーストライキについてインタビューをする予定になっていたが、その前に、テント側へ話を通すために、今回のハンガーストライキの方法などについて、教えてもらった。Yさんの話では、今回も飲まず、食わずで3日間のハンストを予定しているという事。Yさんには、テント側としては、個人の行動なので止める事は出来ないが、水を飲まない事については、リスクが高いので、賛成しかねる旨を伝えた。
 その後、インタビュー取材を終えたYさんは、年末のハンストの際の支援のお礼をテントにいらしたSさんに述べ、帰って行った。礼儀正しい若者である。我々の運動はまだまだ先が長い、若者は貴重な人材でもある。バックアップ体制をしくなどして、くれぐれも健康に影響が出ない形で実施してもらいたい。
 この日の14時半〜、テントによく現れる排外主義者の団体が新宿でデモを行っているという情報を得ていたため、念のため、16時〜17時頃まで警戒を継続していたが、市ヶ谷の日本教育会館で行われた「脱原発をめざす女たちの会」で、「土日に嫌がらせが多いので、テントひろばへ行って欲しい」と呼び掛けてくれたおかげで、多くの方がテントへ来て下さった。結局、17時過ぎになっても現れず。
 日が落ち、テントの中には宿泊担当のKさん、とつきとおかの事務局のMさん、フランス人のFさんと奥さんのYさん、テント設営時からのメンバーのAさん、浜岡原発の事を独自に調べているOさんが集う。明らかに若い人が多い。年齢を確認すると、私が一番年上と言う事が発覚。平均年齢は30歳代?何かとても新鮮である。
 その後、原発の話や政治の話で、話に花が咲いたが、その中で、フランス人のFさんと奥さんのYさんが昨年の4月に福島に入った時の話をしてくれた。東京でも原発の問題を気にしない人が多くいると感じているが、福島に行った時も若い人たちの多くが、原発事故・放射能汚染の事を気にしないように振舞っている事に驚いたという事だった。Fさんは、マスコミの報道が原因だと言っていたが、世界中も有る程度同じような状況だが、日本は特に酷いと嘆いていた。
 この日の午前中、宿泊の準備をしながら、報道番組の内容をチェックしていたが、まさにFさんが指摘するように惨憺たる状況だった。フジテレビの新報道2001は、北朝鮮のミサイル発射問題一色で、再稼働問題については、一切触れなかった。前週の報道で、東電の値上げについて、法人営業担当の執行員に鋭く突っ込んでいた報道ステーションサンデーでも、原発関連については一切報道されなかった。
番組冒頭の挨拶で、キャスターの長野智子さんが「新年度になってリニューアルしました」と話をしていたが、スポーツ紙の記事を元に芸能ネタなどを放送しており、まるで、ワイドショーのような内容となっていた。全くどうしてしまったんだろうか。
 大飯原発の再稼働問題について、唯一報道があったのは、TBSのサンデーモーニング。一週間に起きたニュースを各曜日ごとに紹介するコーナーで、金曜日の四閣僚会談で「新安全基準(暫定安全基準)」が承認された事について報道していた。
 しかし、先週の放送では、「風」のコーナーで比較的しっかりと取り上げていたのと比較すると、今週の放送では、コメントもほとんどなく、あっさりと流された感じ。もちろん、金曜日に首相官邸前に1000人近く集まって行われた報道については、全く放送されなかった。
 明らかに原発報道については、報道統制がかかっているように思えたが、再稼働を巡り、月曜日から厳しい展開が予想される。また、今後、報道番組への統制が継続すると想定される中では、まだ原発の危険性について理解していない人達に根気強く正しい情報を伝えていく努力が必要となるだろう。
 翌朝の午前中、テントひろばの前で座り込みを行っていると、経産省の取材を終えたフリージャーナリストの田中龍作さんが、足早に現れ、関電が工程表を提出し、枝野大臣が受け取ったと教えてくれた。
前日のメディアへの報道統制の理由はこれですかね。しかし、金曜日に四閣僚会談で新安全基準を承認し、翌月曜日に工程表を提出するとは、こんなあから様な出来レースをやって、恥ずかしく無いのだろうか。報道を統制し、国民の安全を無視し、なりふり構わず、原発を再稼働をさせようとしている今の状況は、この国が民主主義国家では無いと言う事の現れだと思う。
 枝野大臣が、14日に福井県を訪問する事を予定しているとの事。現地へのメンバーの派遣も含め、テントひろばでは、今週から泊原発3号機が停止する5月5日まで、「原発稼働ゼロ」に向けて、集団ハンストを始め、様々なイヴェントを予定している。是非、多くの方に参加してもらいたい。テント維持と抗議活動の両立となり、体制的に相当厳しい状況となるが、なんとか、無理なく、5月5日の「原発稼働ゼロ」を迎えたい。
 夜の泊まり担当も含め、日勤、イベント関係でお手伝いをしていただける方を募集しています。お手伝いしていただける方がいらしたら、テントへおいでの際に、お声掛け下さい。宜しくお願いします。
            


<テント日誌 4/9(月)――経産省前テントひろば212日目>
     11日に集団ハンスト宣言ー17日から決行
       〜テントひろば全体会議で確認〜

4月9日(月) 晴れ。散り始めの桜が風に舞っている。

昨日の日誌で書き残したことがあった。
 「(8日の)午後には宮城、福島、神戸からの女性が次々に来訪。福島の方は、7日の朝日新聞夕刊に取り上げられていた『トテチータ・チキチータ』の映画プロデューサー古勝たつ子さん。山岳部出身だからいつでも泊まれる!ただ福島からだからすぐって訳にはいかないかぁ、と力強い言葉を残してくれました。」(K.A.)
 そして今日も全国各地からの来訪者が続々。鹿児島、宮崎、名古屋、静岡、茨城・・・・。これからはどの地域でも再稼働をめぐる攻防で、緊張が高まっていく。当面の大飯原発再稼働阻止の闘いを軸にして、全国的連携というか、全国的な陣形が創られていければ・・・・と思う。その時テントは全国各地に立ち並んでいくのだろうか。このテントからも全国に発信できる闘いができれば・・・。
 今日の夜、テント全体会議があった。なかなかの賑わいで活発な議論も。焦点は、前回確認された大飯原発再稼働阻止!集団的ハンスト行動の具体化である。
 これまで脱原発を求める全国ー全世界の交流拠点、意志表示の場として、政府・原子力ムラに対峙してきたテントが、今、無茶苦茶に強行されようとする大飯原発再稼働を阻止するために、命の叫びを強い塊として登場させ、その意志を全国ー全世界の1人1人に届け、励まし、結びつけ、脱原発・再稼働反対の世論を一大運動へと転化していくことを目的として実施される。
 だからそれは全国の人々に呼びかけを発する集団ハンストなのだ。
 11日にハンスト宣言を発し、17日正午にテントひろばで大々的な記者会見を開催し、それを期して開始すること、1日(24時間)から最長7日間の間で、それぞれの意志と条件に応じて参加し、全体として5月5日正午までの長期間の集団ハンストとして実行する。塩と水のみ摂取の完全ハンストである。
 17日の正午には、国会議員や、1000万人アクションの呼びかけ人や中嶌哲演さんや広瀬隆さんも参加していただけるそうである。さらに多くの各界脱原発の人々に働きかけることを確認。
 全体会議では、枝野経産相の再稼働への県「説得」入りに反対する県庁前行動や、伊方原発再稼働阻止の現地集会にも派遣することを確認した。テントは全国を駆けめぐる。

 朝起きて外に出ると、淵上代表がテントの前に座っていた。今しがた、Yo君から電話あったそうだ。9日夕方に、大飯で原発に向かう1本道のところに「原発再稼働反対監視テント」を建てたという。3つの小さなテントを並べ、それをつないで横断幕を張り巡らしているという。いよいよ始まった!と感じる。霞ヶ関を歩く人の流れにさえ、今にも人々が駈けだしていきそうなざわつきを感じてしまう。



<テント日誌 4/10(火)――経産省前テントひろば213日目> 
      再稼働の動きに増す緊迫度
 
 朝起きてテントから外をのぞくと白いものがチラリほろりと舞っている。さては雪かと錯覚してみんなに笑われた。経産省の構内の桜が散り始めて白い花弁がテントやテント前を埋めはじめているのだ。それにしたってあわただしい気分でゆっくり花見もできない。テントもテント前もどちらかというと平穏な光景の中にあるが、みんなの気持ちは緊張感があるのだ。稚拙で即席の再稼働の動きがそれぞれの気分に反映しているのだ。

 テントにはいろいろの人が訪れる。これは何度も書かれていることだが、留学先から帰国中の女子学生が来ていろいろと質問をうける。僕とMさんやFさんに熱心にあれこれ聞いてくる。繰り返しになるのだけれど、テントの設置の経緯やその後の展開についてそれぞれの立場や観点から答える。熱心にメモをしながら質問をしてくる。今度はイスラエル出身の若い奥さんを連れたお母さん(姑さん)がやってきて同じような話をする。
 僕らが一方的に話すことになりがちだけれども、相手方から気づかされることもあり、対話になる時は楽しい。時間が取れての話は内省も含めてこちらに返ってくることも多い。テント広場の動きがDVDになったものがある。このDVDは個人で作られたものだが、今までの動きがよく分かる。テントを訪れた人は声をかけて欲しい。
 今日も官邸前には人々が集まり、再稼働の動きに対する抗議行動がなされている。また、経産省前でも抗議行動が展開されている。ただ再稼働だけを急ぐ政府の姿勢に危機感や怒りを持った人々が矢もたまらない思いで駆けつけてきている。話を聞くたびにそれを実感するが、国民の意志と政府の意志の食い違いということに意識はいたる。この食い違いは何だ、そこを解決する道はあるのかという自問を繰り返しやっている。
 4閣僚の会合や決定と言ったって背後に官僚(霞ヶ関)や大手企業の後押しがあり、実質はそちらに決定力があるのだろう。「生活が第一」ということは国民の生活や存在が第一ということであり、それを公約で選ばれた面々が背反する政治(意思決定)をやることへの疑念と怒りがふつふつと湧いてくる。我々はそれに異議申し立てをする意志表示しか手はないのか。自問が深まるだけ暗い気持ちになるが、どこかそれを超える道模索している。
 再稼働の焦点である大飯原発3・4号機がある現地では原発に通ずる1本道(大飯町大島南浦)に三つの監視テントが建った。再稼働阻止の運動には大きな弾みになることだが5月5日まで続けられる。大阪の関西電力本社前では原子力学者の小林圭二さんがハンストに入った。再稼働を急ぐ政府に対して、大阪市や滋賀県、京都府の反発は強まり、大阪市では「再稼働のための8条件」を政府に突き付けている。近県の地域住民の再稼働反対の動きも高まっている。
 大飯原発のある福井県や近県の地域住民の再稼働反対の声は日増しに高まるが、テントひろばはその連携を深めつつ、リレーハンストなどを引き継ぎながら、11日(水)日比谷公園での集会での「ハンスト宣言」、17日(火)正午からの記者会見と「集団ハンスト」への準備に入っている。何らかの形でハンストに加わる人、サポートの人、現在テントではメンバー登録している。是非参加を。テント前と経産省の周りでの「集団ハンスト」を中心にした大行動に加わって欲しい。
 官邸前や経産省の抗議行動を終えた人、第二テントでのハンストト会議を終わった人などが集まりテントの中では例の通り議論が消灯時間まで続く。これは第一段階で、後には不寝番の人で議論が続く。このテントで初めて出会った人たちが多いのだが、運動が議論の上に成り立ってくれたらいいと思う。議論よりも沈黙が好きなのは日本人の性向であり、議論は上手くないのであるが、議論が運動の根本にあること、議論を経て理解し同意を得たりすることが重要であることは間違いない。議論の楽しみがテントの存在意義の一つでもあるのだろうな、と思った。                                   













        

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経産省前テント広場から発信された情報36

2012/04/15 23:18

<テント日誌 3/31(土)――経産省前テントひろば203日目>
       テントで、テントを支えた蔵屋敷さんを偲ぶ    
       「福島の女たちの本気が更に示される日!」

4時少し遅れて目が覚める。今日のお散歩はQさんとは別に行きました。昨日見つけた樹の根元に咲く「ど根性桜」 http://img.ly/fXqI はどうなっているか探してみるとちゃんと咲いていました(笑) この「ど根性桜」がどこに咲いてるかと言いますと……気の根元をご覧下さい! http://img.ly/fXqV
僕がどうして「ど根性桜」と名付けたかがお分かり頂けると良いのですが・・・(爆)
日比谷公園・カモメ広場の桜は一輪も咲いていないのに、この花だけが咲いているのです。しかもこんなに根元の蘖(ひこばえ)の部分に・・・。

午前中に蔵屋敷有紀さんを偲ぶ会が行われるので、その準備のためのお弁当をタッチーと買いに行きました。物凄い嵐のような風の中でしたが、まるで蔵ちゃんがいつまで経っても原発が止まらない、福島の支援が進んでいないことに怒っているかのように思えたです。
彼女は昨年末、急逝された女性です。テントでは早い段階から献身的に動いていた女性で、当時僕がテントで会う女性では一番若い方だったのではないかと記憶しています。
それ以前にもデモでお顔だけは見知っていた方でした。テントには無くてはならない女性であり、その後の女性主体のイベントと運営を形作った方だったと言っても過言ではないと思っています。

10月末に行われた「原発いらない!福島の女たちの座り込み」「福島の女たちに続け!原発いらない全国の女たち」の時にボランティア・スタッフをした僕と一緒に撮影した事を思い出します。
少々ぶっきら棒で冷たい印象を与えるような印象でしたが、細かな心配りの出来る優しい方だった。
言葉の最後に僕を温かくフォローしてくれる。それぞれが思い思いの想い出を語り合う中、外では風が更に強くなり彼女を偲ぶ気持ちが高まる頃には雨が降り始めました。そして段々と強くなっていきました。
それは正に皆さんの代わりに流す涙であるかのように・・・。
今、彼女にかける適切な言葉は見つかりませんが、やはり早過ぎるということ、体調の悪い中頑張って下さったこと、それをおくびにも出さずに動き回っていたこと。蔵ちゃん!頑張り過ぎだったんだよね!もっと泣き言を言って良かったんだ!今は感謝の言葉しか浮かびません。

『蔵ちゃん!本当にありがとう(合掌)』

午後になり第二テントで数人の女性たちと話をしていると外から大きな声がするので、何かと耳を澄ませば「消費税増税反対ぁ?い!」と叫んでいるではありませんか。
これは応援せねばと外に出てみると大勢の人の列が!凄い!勢い込んで「皆さんどのような団体ですか?何人位の参加でしょうか?」と聞いてみると「ざっと一万人かな」との応えが。
うん?一万人?本当か?組織はと見てみると「幸福実現党」の幟!あああっ!幸福の科学の組織動員でした。確かに隊列はいつ迄も続くかのようでした。

夕方になり福島から「原発いらない!福島の女たち」の黒田節子さんがテントに到着されました。
3月25日から大飯原発の地元、福井県小浜市明通寺の中島哲演住職さんが再稼働に反対するため福井県庁前で断食に入ったことに連帯して行動しようと黒田さんの呼び掛けで全国的連帯が行われることになったからです。黒田さんご自身は既に断食に入っており明日の記者会見に合わせての来訪でした。
黒田さんは静かに優しい語り口で想いを語られ、同席していた皆さんの胸を熱くさせるのでした。
僕はそのお気持ちに今まで以上に福島に寄り添っていきたいと改めて強く誓うのでした。
この日から椎名千恵子さんを含め僕もリレーハンストに入りました。全国から黒田さんに連絡が入り、次々と賛同者の輪が広がっていくのを僕も興奮しながら聞き入ってしまいます。夜になって風は益々強くなり、椎名さん、黒田さんをホテルに送り出してから家路につきました。
無事に今回の行動が遂行されるのを祈りながら、空腹のお腹を抱えて眠りにつきました。

せっかく咲いた「桜」が風で散らされなければ良いな!

リレーハンストの詳しい情報はこちらから
「未来を孕むとつきとおかのテントひろば行動ブログ」
http://totukitouka.info/blog/                               
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テント日誌 番外編 「福島にて(最終回)」
『その日の空は鎮魂の色。白い涙が降っていた』part-4

僕の帰りを白い涙が激しく強く包みこんだ!
福島最終日となりました。今日は昨晩、慶子さん宅に一緒に泊まった東井 怜さんと慶子さんと3人で県庁にある自治会館内にある福島県記者クラブに行くことになったのです。と言うのも東井さんが執筆された「原発震災」という本の紹介を各新聞社、報道関係にするためでした。
(本の紹介はこちら >
http://tinyurl.com/6tma5r7
記者クラブの中には初めて入りましたが、記者達はどなたも疲れ切っているように見えましたし、この現場の苦労が上に潰される事があるのだろうと思うと彼等に忸怩たる気持ち、徒労感を感じさせるのでした。
最後に福島民友新聞社に行きましたが、対応下さった記者はテントひろばの事をあまりご存知ではなかったので、テントの新しいチラシを置いてきました。
小出裕章先生がテントに来て下さった事をお話すると、大いに驚いておられたのが特に印象的でした。
この頃から外では雪が強く降り始め、帰路に一抹の不安を感じ始めたのです。
東井 玲さんを福島駅までお送りし、佐々木慶子さんをご自宅まで送り届けると、いよいよ、福島を離れる時が迫ってきました。慶子さんから温かな、嬉しい言葉を頂いたのでしたが、この方は人の心の痛みや気持ちをさり気なく受け止めて下さる本当に優しい方だと改めて強く思いました。最後におみやげまで頂くことになり恐縮するばかり・・・。

今回、福島に来てとても気になったのは、以前より放射線量が増えてるのではとの疑問でした。朝、慶子さん宅の周りを計測した時には、阿武隈川の支流、荒川に面した庭の植木では10μSV/h以上を検知する所が多くありました。
地面近くは1~2μSV/h位でしたが場所によっては5μSV/hを超えるところもあり、慶子さんに伝えても良いものか迷いましたが、本人はもちろん既にご存知でして、明るく「知ってるよ」と声を返されてしまった。
しばらくは来れないので名残惜しく、福島市内を車で回りながら線量を測ってみました。
子ども福島事務所、野菜カフェ「はもる」、福島駅前、県庁などなど。特に県庁の高い値には胸が詰まります。県庁の北側で1~2μSV/h位。南側は2?3μSV/h位と渡利並みの値でした。
東北道、磐越道といつもの道を帰りましたが、雪は益々強くなり案の定三春町を通る頃にはヘッドライトに当たる雪が前を遮り、全く前が見えません。SAごとに車を止め恐る恐る進むしかありません。
福島市を離れるにつけ下がる線量も茨城の日立市に入っても0.2?0.3μSV/h位で、これ以上は下がらなくなりました。東京には深夜の2時に着きました。明るくなってから愛車を見ると活躍してくれた痕跡があちらこちらに。良く頑張ってくれましたね、ノーマルタイヤで??            (完) 




<テント日誌 4/1(日)―経産省前テントひろば204日目>
    「原発いらない福島の女たち」発記者会見と
     かんしょ踊りワークショップ

天気晴れ。もう春だと思い、思い切ってコートを脱いで来たら、まだ少し肌寒いですね。それでも太陽の高さが以前と異なり、太陽光パネルに直射日光が当たる時間が延びました。今までは「霞が関コモンゲート」の高層ビルで遮られていたのが、いつの間にか高層ビルの上を太陽が通るようになっています。
今日は「原発いらない福島の女たち」のリレーハンスト=断食の記者会見が13:00からテント前で行われました。
13時にはIWJのインターネット中継も入りました。
(録画を http://www.ustream.tv/recorded/21511246
で見ることができます。)

30名ほど集まった聴衆に対して「原発いらない福島の女たち」の椎名さんの挨拶から始まり、黒田節子さんのハンスト宣言。福井県で抗議の断食を開始した僧侶中嶌哲演さんに続く、全国的な断食をおこなう由。更に椎名さんから福島の状況の説明。「経産省前テントひろば」も八木さんから「4閣僚による判断」が行われたら即断食による抗議を行う発表がありました。
 ハンストというと、ハードなイメージがありますが、全国の多くの人に抗議の意を表して欲しい願いが込められています。基本0時から24時までの「断食」をリレーで5月5日まで繋ぎます。
参加の表明はsecchan@amail.plala.or.jpまで電子メールでお願いします。すでに、全国から多くの参加表明が行われています。5月5日までつなぐ為には4月後半の参加者が求められています。
ハンストのアピール文や経過などは「未来を孕む女たちのとつきとおかのテントひろば行動」のブログ http://totukitouka.info/blog/ でご覧になることができます。
記者会見の後は、経産省前テント前の歩道を使い「かんしょ踊り」のワークショップが行われました。その後15時半ころ、警察車両が集まり右翼団体の襲来が予想されましたが、何事も無く17:50には警察も撤収しました。警察の担当者も何もなく「ほっとした」とのこと。
               

桜は咲いても夜になると風が冷たい。でもテントはにぎわっている。
席をゆずっていただいてフランス人Fさんと日本人Oさんご夫婦と、原発を止めることと世界の差別システムを改善することについて議論。まずは原発を止めて世界の「原子力むら」に一撃を与えることが優先では? と。
さらにうれしい差し入れが二つも。
沢山の紙袋を持ってマスクをした女性が現れる。多摩市で市民運動をごいっしょしたSさんで、「イエローカード」や「値下げ」マークが着いた沢山の食べ物を差し入れてくださる。寿司やおにぎりや肴を皆でいただく、原発反対派の多摩市A市長の奮闘を願いながら。お漬物が日本酒にぴったり。さらにSさんはコンビニに通う度にパンや缶コーヒーやを買いこんでくれ、明くる朝の朝食も大助かり。
と、長身の若い男性が一升瓶を差し入れ。数週間前に話した大阪のM高校の後輩Nさんが池田市の銘酒「呉春」。美味しい日本酒を皆で味わう。「原子力は絶対に安全です」広告を関電が放送局に強要したローカル話しも折り込みながら。
 今宵も、大飯・伊方の再稼動を心配しながら、寒空に暖かい脱原発話しが盛り上がった。
                   


<テント日誌 4/2(月)――経産省前テントひろば205日目>
     新年度スタートの霞ヶ関でマイクアピール
     4閣僚会議による再稼動政治判断阻止へ

4月2日(月) 晴れ。外務省の桜は満開の1本以外にもどんどん咲き始めている。
もう5分咲きか。たんぽぽ舎では今年も恒例のさくら調査への参加を呼びかけているが、今年は桜の異変が気がかりなところである。

 霞ヶ関は今日、新年度のスタートを迎えた。新入職員や異動など、気分も新たにというところだろうが、彼らはどのような抱負・希望・責任感を持ってこの新年度をスタートしようとするのだろうか。それは大多数の人々の希望に沿い、そのまなざしに応じるものなのだろうか。歓迎でもあるのだろう、寿司や料理の包みを抱えた職員が往来する。
 その中で、夕刻から10人ほどが経産省正門前立ち並びマイクアピール。今日は若い人達も多く、フランス人のFさん夫妻もいて、多彩な顔ぶれ。新年度のスタートにふさわしい、人々の希望に沿った責任意識を求めるアピール、切迫する大飯原発再稼動断念を迫るアピール、福島の現実を訴えるアピールが次々と果てしなく続く。昨日のリレーハンスト宣言集会につぐ、新年度第2弾の行動となった。

 夜、テントの中では4閣僚会議はいつやるのだろうか、とか、今日の枝野経産相の国会答弁などが話題になった。再稼動反対へと高まる世論、なかでも滋賀県・京都府などの自治体がまさに「地元」として大飯原発再稼動強行の待ったをかけていることが、野田政権を揺さぶっていることは確かだ。
 そうこうしていると、タッチーさんから電話が。福島原発事故緊急会議の全体会議で、明日4閣僚会議が開催されるので昼前と夕刻の2度首相官邸前緊急行動をやることが決まった、ということである。

 朝、フリージャーナリストのTさんがやってきて「今、細野原発相の記者会見が終わった。4閣僚会議は19時からだが、1回の会議では決まらない、何回か積み重ねることになる、と言っていたから今日の政治決断はない。これから枝野経産相の記者会見に行く。」と伝えて慌ただしく出て行った。
 夕方大嵐が来る、という報を受けつつ11時からの相官邸前行動へ、テントの幟旗を持って参加。25人程が集まり、次々とアピール。先送りへと追い込んだことを1歩の前進ととらえつつ、気持ちを弛めず、さらに全国的運動を盛り上げようと確認。終わり頃テントから電話があり、慌ただしくテントに戻り、大嵐に備える作業を開始。
        



<テント日誌 4/3(火)――経産省前テントひろば206日目>
           春の嵐に負けないテント
           4/15伊方現地集会への派遣を決定

 「春一番が吹かなかった」代償か、大気が放射能汚染に怒っているためか「春の嵐」がやってきた。天気予報で知らされていたため、朝から防御対策が講じられた。
 以前に台風に見舞われて時は一時テントをたたみ猛烈な雨風をよけたが、今回はそうはいかない。テントも三つに増えたし、荷物も結構な量になった。それに経産省側が虎視眈々と機会をうかがっていることもあり、たためないのである。第一テントの下幕の二隅をたくし上げ風の通り道を作った。当然、雨が吹き込まれるので荷物にはシートを被せ重荷を付けた。第二テントも第三テントも強風対策を施した。

 予報通りに3時ころから風も強まり、雨も降り始めた。テント防衛に参加した30数名は雨の吹き込むテントに座り込んでいた。テントの対面は外務省であるが、桜が満開に近い。雨のぱらつく中で見事な桜がいやがおうでも目に飛び込んでくる。思わぬ花見となったが、こんな花見は初めてだ。「花も嵐も踏み越えて行くがテントの…」なんてセリフが自然に口から出た。それぞれ、どこか緊張しながらも愉しそうでもある。
 滑稽な役割を演じたのは経産省の連中である。彼らはテント防御のために立木に結んだ紐を取れと強固に迫ってきた。例の如くビデオカメラを回しながらである。我々はこんな事で喧嘩するのもアホらしく紐を解いたが、残っていたのを目ざとく見つけ切断した。こんなところだけ意地悪く強固になる経産省の面々って一体何なのだろうか。
 朝、見ると外務省前の桜は風に吹き散らされた薄くなっていた。やはり、今年の桜もかわいそうだ。
 予報では9時ころが雨風のピークとあったが7時前後に早まったようだった。その首相官邸では大飯原発の再稼働についての4閣僚会議が開かれていた。今会議で再稼働の政治判断は先送りされるということが朝日新聞等で報じられていたが、結果はその通りであった(4月4日付け全国紙の朝刊)。
 大阪・京都・滋賀のどの近県の反対が強まり、また、国会でも各議連の動きが活発になっている。国民の再稼働反対の意志や声が強くなっていることが根底にある。原子力安全―保安院のお墨付きで「再稼働ありき」に進む野田首相に国民の怒りが強まっているのだ。再稼働派の巻き返しも予測されるから、油断はできない。
 原発ゼロに向け国民の声を結集し5月5日に進みたい。。

 テント内では強い雨や風の中でテント運営委員会が開かれた。5月5日の「原発ゼロ」に向けての方向の確認であるが、大飯原発3・4号機の再稼働が困難になると、今度は伊方原発3号機が狙われるのではないかということが話題になった。過去にも伊方原発が突破口的な役割を担わされたことはあるわけで今回も警戒する必要があるという声が出た。
 そして、伊方の現地で開かれる4月14日・15日の現地集会のテント前ひろばからメンバーを派遣することにした。現地との連帯を強めて行きたいと思う。テント前ひろばは政府の動向を注視しつつ原発の存在する現地も方々との連携を強めていきたいのである。

 今日のテントの宿泊は臨時の体制となりいつもより多くのメンバーが残った。テント内ではまず消灯前までの議論が続いた。「日の丸」についての議論が多くでるようになったのは時代の反映だろうか。
 「40 代以下の人たちとの考えの食い違いを意識してはいる」と書いたことがあるが、その違いの一端を日の丸についての意識はあらわしているのかもしれない。僕らは日の丸をあまり意識せず、意識するときは否定的な側面が強いが、若い世代はどうなのであろうか。ナショナリズム(国家意識)も含めてここのところは考え聞いて見たいところである。
 今日は寝るところも狭く、不寝番の人が多く残ったので消灯時間後の議論も続いた。年を取ってもこんなに議論が好きであるのはいいことなのだろう。これも若いころからの知的貯金のためかも知れない。                    







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スカイツリー再開発で貧乏人を殺すな!

2012/04/11 08:22


「スカイツリー再開発で貧乏人を殺すな!」4月14日(土)スカイツリー包囲デモ!

■4月14日(土)11時 浅草花川戸公園集合。集会の後、デモ。
■最寄り駅:銀座線浅草駅 
■メシあります!

スカイツリーの周囲各地で、貧者を排除する動きが激しさを増しています。江東区竪川河川敷公園での行政代執行、荒川河川敷での国交省による自然再生を名目とした野宿者追い出し工事、隅田川での都と区による日常的な野宿者追い出し。また、周辺の各区では、アルミ缶・古紙持ち去りを禁止する条例が制定され、野宿者の生活の糧を奪おうとしています。これらは、スカイツリーの完成を前に、ここ1-2年の間に次々と起こりました。スカイツリーの建設は、周辺地域の街を作りかえ、貧者を排除して、金持ちのための街にしようという動きを引き起こしています。

しかし、野宿の仲間たちの、人間の尊厳をかけた立ち上がりの動きもまた起こっています。竪川でも、荒川でも、隅田川でも、粘り強い抵抗が続いています。アルミ缶古紙組合が結成され、貧者の歴史ある仕事である廃物リサイクルを守り抜こうとしています。

スカイツリーのオープンが5月22日。これを一ヶ月後に控え、これまで各地で金持ちのための街づくり・再開発に反対の声をあげてきた仲間たちがつながり、スカイツリーのまわりを一周するデモを行います。

多くの皆さん、ご参加ください。

【連絡先】
東京都台東区日本堤1─25─11 山谷労働者福祉会館

********* 以下呼びかけ文です *************

スカイツリー再開発で貧乏人を殺すな!4月14日(土)スカイツリー包囲デモへ!!

すべての持たざる者たちへ!

2012年現在、東京では5月の「スカイツリー」オープンにともない、足下の台東区・荒川区・墨田区・江東区などでは、街全体の再開発や再整備が急激にすすんでいます。そのことと並行するように、街のあらゆるところで、貧しい者たちが差別され、排除され、生きる権利を奪われるという動きが、激しくなっています。

昨年の冬には、国交省が「墨田自然再生工事」をタテマエに、荒川河川敷に住む野宿の仲間にたいして、三度にわたり、機動隊を動員し、小屋や看板等をなんの法的手続きすらなく、暴力的に強制撤去しました。フェンスやネットで仲間の小屋は囲い込まれ、毎日のように警告書をはられ、立ち退きを迫られてきています。

今年の2月8日には、公園の改修工事の名のもと、江東区亀戸の竪川河川敷公園に住む野宿の仲間たちにたいして、江東区による行政代執行という名の強制排除がおこなわれました。それはまさに、暴力そのものでした。行政代執行の対象地に残っていたひとりの仲間の小屋にたいして、200人ほどの役人、ガードマン、警察官が襲いかかり、小屋は破壊され、荷物はすべて強奪されました。その暴力を止めようとしていた仲間たちは殴られ蹴られ、踏みつけられ、引きずられ、多くのケガ人が出るという事態になりました。江東区は、真冬に強制排除を強行し、命の砦である小屋を奪い、そこに生きている野宿者に対して死ねと迫りました。現在も、竪川河川敷公園の野宿の仲間たちは、話し合いを拒否され、暴力的な追い出しにさらされており、いつ行政代執行が行われるかわからない緊張状態がずっとつづいています。

国交省も、江東区も、これだけの暴力、殺人行為をおこなっておきながら、なんの説明もなく開きなおり、話し合いを拒否し、強制排除の姿勢を崩していません。また、荒川や竪川、隅田川の排除だけではありません。日本中あらゆるところで、路上からの追い出しが激化しています。光り輝くイメージが喧伝されるスカイツリー建設の裏側で、これだけのことが起こっているのです。持たざる者にとって、スカイツリーとはまさに「差別と排除」の象徴でしかありません。

また、スカイツリーは、あの3月11日の東北大震災と、その後の福島原発事故からの「復興」の象徴なのだ、といったイメージもさかんに喧伝されています。しかし、原発事故はいまだに収束していません。東京電力の経営者や、原発事故を招いたこれまでの政治家、電力会社、御用学者、誤用メディアどもの責任は覆い隠され、なかったことにされながら、誰も処罰されることなく、放射能汚染による大量の被曝者と、原発事故の収束にかりだされる大量の被曝労働者を生み出し続け、再び原発の再稼動と、原発の輸出を実現するという形で、「復興」が強調されようとしているのです。
地方への歴史的な差別の中で原発を押し付けられ、大都市の「繁栄」のための電力をまかなってきた東北で事故は起き、多くの人は生まれ育った、汚染された土地からそれでも離れられず、あるいは泣く泣く土地を去って生きています。さらに、原発事故の「収束」作業に従事しているのも貧しい者たちです。日雇い労働者として全国からかきあつめられ、放射能に晒される過酷な作業のなかで、命を落とした人が、もうすでに沢山います。これまでもずっと、ウラン採掘から最終処分場に至るまで、世界中の貧しい人々を差別し、殺すことなしにはまわらない原発を、これからも動かしつづけようとしているのがニッポンです。自分の大切な人々や、財産を失った多くの人々の悲しみや苦しみを、かき消し、あたかも同じ事を繰り返すのだという宣言かのように「復興」や「繁栄」が叫ばれているのです。スカイツリーとは、そのための宣伝塔にほかなりません。

スカイツリーの足下で持たざる者が殺され、野垂れ死にを強いられる一方で、ゼネコン、財閥などの大資本はますます肥太っていこうとしています。金持ちと貧者の間の格差は広がりつづけていきます。私たちは、経済成長が人の幸せをつくりだすのだという「幻想」と、きっぱりと訣別すべきです。現にスカイツリー再開発によってどれだけの差別と排除が、悲しみや苦しみが生み出されているかを見てください。

再開発にわく街に掲げられる「がんばれニッポン」というポスター。それは、誰かを犠牲にした「繁栄」を呼びかけるためのスローガンではないでしょうか。ニッポンの、金持ちのためならば、日雇い労働者や野宿労働者は殺されたっていいのか。地方の人間は殺されたっていいのか。ニッポンが「繁栄」するためなら、「ニッポン人」ではない人間は、殺されたっていいのか。「がんばれニッポン」のスローガンの前に、抵抗する人々の声は無視され、「非国民だ」として攻撃されるでしょう。それは、人々の怒りをそらし、私たちを分断し、殺し合わせるための言葉です。人々を国家の奴隷にするための言葉です。

私たちは、戦後日本の高度経済成長が、「復興」が、国家が天皇の名の下に行ってきた数々の侵略をまったく省みることなく、朝鮮やベトナム戦争の加害当事者として、あるいはアジア各国への経済侵略という形で、多くの貧しい者たちを再び殺し、強奪してきた結果、可能になったことを忘れるわけにはいきません。人間をボロ雑巾のように使い捨てる政策の中で、山谷や釜ヶ崎などの日雇い労働者たちから搾り取り、殺し続けることによって可能になった「繁栄」だということを忘れるわけにはいきません。私たちは、天皇制に象徴されるような、私たちを殺し合わせてきたこのニッポン社会の論理と秩序そのものを変えていく必要があるのではないでしょうか。ニッポン社会の差別と無責任が、原発震災をきっかけにして、これほどまでに白日の下に晒された事態を前にしても、私たちは同じ過ちを繰り返し続けるのでしょうか。多くの人々を苦しめながら実現される「復興」も「繁栄」も、ウソであり、、私たちが真に幸せに、共に助け合って生きるためのたたかいとは、はっきりとちがうものです。

私たちが生きるこの社会には問題が山積みです。貧しい者と富める者との間の格差は広がりつづけ、貧困・不安定労働の問題はさらに深刻になっていくでしょう。この社会のあらゆるところで、人が人として生きる権利はないがしろにされていくでしょう。排外主義、ファシズム、在日外国人差別、障害者差別、民族差別、性差別、いじめ、原発、戦争、米軍基地、天皇制…。人権がふみにじられ、憎悪が煽られ、私たちがバラバラに分断されていくなかで、これらの状況を乗り越えていくために、ひとつひとつの問題がすべてつながっている、自分自身の問題なんだとして、みなで話し合い、協力しあっていかなければ、私たちの生活や尊厳は奪われ、失われていくばかりです。一人一人の力は弱いものであるからこそ、団結していく必要があります。今こそ、スカイツリーに象徴される差別や排除、侵略や暴力のつながりを断ち切り、根底から問い直し、作り変えていくための、「世直し」の時です。

ニッポンのために使い捨てられるな!!スカイツリーに殺されるな!!
ともに声をあげ、生きる権利を勝ちとろう!!

あなたの、デモへの参加をお待ちしています。

竪川河川敷公園野宿者有志、荒川野宿者有志、支援者有志、山谷争議団・反失実、山谷労働者福祉会館活動委員会

【連絡先】
東京都台東区日本堤1─25─11 山谷労働者福祉会館
Blog: http://san-ya.at.webry.info
Twitter: @sanyadesu
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◆原発ゼロへ!止めよう再稼働 4・11アクション

2012/04/02 17:26




◆原発ゼロへ!止めよう再稼働 4・11アクション

【4月11日(水)】 <東電福島第一原発事故の発生から1年1ヶ月>

午後6時 集合 日比谷公園中幸門(日比谷公会堂裏)
※千代田線・日比谷線「霞ヶ関駅」C1出口より200m
        丸の内線「霞ヶ関駅」B2出口より300m
       都営三田線「内幸町駅」A7出口より150m
    出発前集会

午後7時 デモ出発 
    関西電力東京支社、経産省を通り、国会議事堂方面へ
    国会請願デモの後、街頭へ(予定)

    ※プラカード、横断幕、鳴り物、キャンドルなど持ち寄り歓迎。

 54基もある日本の原発のうち、動いているのはついにあと1基。原発ゼロの達成(5月5日に泊が止まる!)は目前です。
 日々「原発なしでも大丈夫」なことが証明されているにも関わらず、利権を失うことを恐れる「原子力ムラ」は、「今夏の電力不足」をあおり、大飯原発3、4号機の再稼働に前のめりになっています。
 福島事故の原因究明もまだであり、安全委員会が「ストレステストの1次評価のみでは安全性評価は不十分」と公言し、滋賀県、京都府など多くの「地元」自治体、住民が再稼働反対を表明する中、強引な再稼働は絶対に許されません。
 原発ゼロを実現し、原発全廃に舵を切るための、最大の正念場です。
「3・11」1年に取り組まれた1万人以上の国会包囲「人間の鎖」の成功をはずみに、力を合わせて、政府に再稼働の断念を迫りましょう。
 「4・11」は再び日比谷から国会へ!

【呼びかけ】 再稼働反対!全国アクション

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経産省前テント広場から発信された情報35

2012/03/31 19:48
<テント日誌3/26(月)――経産省前テントひろば>
    東電管内の稼働原発0に  残るは1基
    経産省前行動→東電前アクションと盛り上がる

3月26日(月) 晴れ。もう春のはずなのに今日は冬型気圧配置とかで寒い。
 この日の未明、日付が変わる頃に柏崎刈羽原発6号機が停止し、東電管内の稼働原発は0となった。この記念すべき日も二重の無念とともにある。福島原発の過酷事故とそれによる夥しい放射能被災、たくさんの人々の苦しみとともにこの日があり、しかも東電の謝罪と責任をもって原発をやめるということではなく、あらたな再稼動への画策とともにこの日はあるのだという思いがよぎる。
それでも全原発停止の実現は画期的なことであり、脱原発への大きな一歩であることは間違いない。再稼動を阻止して、残り1基を停め、全原発停止→廃炉へと進み、脱原発社会へと進んで行かねば、と改めて気持ちを引き締める。

 今日は沢山の方々が全国から来訪される。沖縄・福岡・岡山から茨城・栃木・福島からと。
そして午後6時から、経産省前行動をおこなう。今日は4日間連続行動の最終日である。続々と経産省前正門前に立ち並び、50〜60名程にもなる。とくに、双葉町・富岡町から避難されている女性達の心の底からの怒りと切々とした訴えが胸を打つ。
 そうしてそのままみんなで7時からの東電前行動へと向かう。

 東電本社の向かい側の空間には既に多くの人が詰めかけている。東電前アクション・たんぽぽ舎・経産省前テントひろば・原発いらない福島の女たち・福島原発事故緊急会議・再稼動阻止全国アクションの共催ということで、最後には200名程の黒山の人だかり。
 前日、福井市で雪あられの中行われた700名の行動の報告もある。避難されている方々からの訴え、郡山や会津から駆けつけて来られた方達からのアピール、等々、本当に糾弾して糾弾してもなお足りないほどの怒りが、東電本社に投げかけられる。折しも、東電本社ビルの壁に「東電解体!」「原発なくせ!」「再稼動阻止!」等の文字が投影され浮かび上がる。
 会津磐梯山のもとの踊り、怒りと抵抗の気持ちを爆発させる踊り、<かんしょ踊り>が輪になって始まる。<福島を返せ!>と叫ぶがごとくに。
 そして大飯原発の再稼動をなんとしても阻止しよう!という気持ちが高まる中、集会は終わった。
それでも尚、抗議し続ける人影が絶えない。
 春だというのに真冬のような寒さが押し寄せる中、明日の行動を思いながらテントに引き上げる。
                                          

尚、この日午前11時に
「8.6 ヒロシマ大行動」のメンバーと「とつきとおか未来を孕む女たちの抗議行動」の椎名千恵子さんがヒロシマとフクシマの怒り、そして同じ思いを持った皆さんの署名
「すべての原発の即時停止・廃止を求める署名」28,437筆を内閣府に提出しました。

この署名の要求項目は、以下の通り
一.すべての原発を即時停止し、廃止せよ
一.国と東京電力は、福島第一原発Jこの一切の被害を補償せよ
一.情報操作をやめ、労働者と住民の安全を最優先せよ
一.すべての核兵器と核関連施設を廃絶せよ

日本全国から集まった署名が13,437筆、
その他、國際総労働者連帯協会(UID-DER)の協力により、
トルコからも15,000筆の署名をいただきました。


署名にご協力いただきました皆様に心よりお礼申し上げます。



<テント日誌 3/27(火)――経産省前テントひろば199日目>    
  今日も再稼動阻止の行動―首相官邸前へ 果てしない議論の行方

昨夜の寒さがウソのように、日射しが暖かく心地よい。テントの向かい側の外務省前の桜も蕾が膨らんできている。今週は年度末の週のためか、各地方から上京して各省庁に出向かれる方が多いようだ。多くの方がテントの前で立ち止まり、写真を撮ったり、話しかけてこられたり、資料を何部かまとめて持っていかれる。なかにはテントの前に立って記念写真を撮っておられる2人連れも。そのようにして「脱原発テント」が各地方に伝えられていくというのもいいことだ。霞ヶ関ならでは、というところである。
テント前は26日まで続けられてきた経産省前行動も終わり静かだ。朝方に富士から出掛けてきた友人が訪問をしてくれた。が会えなくて残念。多くの友人がテントを訪ねてくれるが会えない時はごめんなさい。
 今日は夕方から首相官邸前でも再稼働に対する抗議集会や申し入れ行動があった。日暮れると高台にある首相官邸前は寒い。この場所に立つのももう何度目だろうか。70人程の参加者が怒りの声を上げる。 どちらに顔が向いているのか疑念の消えぬ野田首相だが、韓国まで出向いても外国の要人に相手にされないありさまが報道されている。
野田首相は福島第一原発事故の収束宣言を昨年にやっているが今の状況をどのように説明したのであろうか(?)「すべての首脳が原発は必要と意見で一致した」と報じられているがこれは李韓国大統領の発言に過ぎない。野田首相は本来ならこうした場で福島第一原発事故の状態を正確に伝え原発廃止の先頭に立つことを宣言しなければなかったはずである。蛙の面に…ということなのだろうか。
 現在、稼働している原発は北海道の泊原発3号機のみになった。原発ゼロの状態の実現に近づいている。政府はこれを怖れ泊原発稼働停止の前に大飯原発3・4号機の再稼働を目論んでいる。泊原発3号機が稼働停止までの約1カ月余が重要な期間となった。一つの山場が訪れたということだろうか。面の皮の厚い面々たちの暴走を食い止めるいい知恵も浮かばない。それが率直なところだが、でも細いみちから開けてくることもあるはずだ。
 テントでは時間ごとに、人ごとにいろいろの議論が展開されている。首相官邸前の行動から帰った人を含めテント内では消灯前までの議論が続いた。僕らは40代以下の人たちとの考えの食い違いを意識してはいる。が、実際のところは彼らの考えが分からないということが多いのだと思う。若い人たちと自由に討議したり、意見交換したりする場がないことに起因することも大きい。
ここは現在社会の難しさということでもあるが、言葉の違いから出発するほかないことに気が付くことも多々ある。でも、こういう議論できることが貴重なのだと思う。消灯時間の過ぎ、不寝番で起きている間、話のことが余韻として残っていた。続きはまたということになったが次の機会が楽しみだ。(M/O)

★テント全体会議 3月30日(金) 午後7時〜 スペースたんぽぽ  ・大飯原発再稼動を阻止し、5/5全原発停止を実現するために1ヶ月間のテントの方針・テントの組織体制の整備(運営委員、運営委員会と全体会議等)
★『ひろばー全国・全世界から 〜思い・交流・討論・共感〜』    
 メール → tentohiroba@gmail.com へお送り下さい。
◎テントひろばの皆様: 
 テレビ、ラジオのニュースで東北の高齢者の皆さんが福島の子供達を守る為に一生懸命に経産省前のテントで頑張っていられることに感動を覚えます。
 友人の小國喜代子さんが時々陣中見舞いにテント広場を訪れています。彼女から皆さんの話を聞き、私も微意ながら、何か陣中お見舞いをしようと思ったわけです。カップヌードル等召し上がらないかもしれませんが、小腹が空いた時お湯さえあれば食べられますので、僅かですが今日クロネコで送りました。原発が1日も早く廃炉になることを願っています。皆さんの健康が心配です。お大事になさって下さいませ。 北村雅子より
◎こんにちわ   23・24日と経産省前テントひろばを訪れることができました。  カンショ踊りも楽しかったです。是非広めたいですね。椎名さんにはお世話になったのにご挨拶もできず帰ってきてしまったのでよろしくお伝えください。 



<テント日誌 3/28(水)――経産省前テントひろば200日目>
     200日目を迎えたテント 座り込みの椅子も満席に
     今日も続く経産省正門前マイクアピール

3月28日(水) 今日でテントは200日を迎える。
今日は早朝から暖かな晴天を迎え、歩道を行き交う通行人も寒い頃に比べると格段に多い。年度末のせいでもあるのか、なんとなくせわしない感じも。昼食の頃になると歩道いっぱいに人が溢れ、信号待ちの交差点では集会のときのような状態になるほどだった。
 
 テントへの訪問者も大幅に増え、テントの前の座り込みの椅子も満席状態となった。
午後3時頃から曇り始めると間もなく、空いっぱい薄暗い雲に覆われ、ぽつぽつ雨が降り始める。急いで椅子、展示の飾り華やベニヤ板を片付ける。予報では雷が鳴ると言われていたが、雨はけっこう降り続け、その後夕方からは曇天となった。
 テントではとくに変わった事件もなく、面前外務省の桜が一輪咲いていた。

 テント200日目ということであったが、その感慨に浸るよりは、目前の大飯原発再稼動をめぐる動きと闘いにみんなの意識は集中している。4閣僚会議はいつ頃だとか、世論調査でも再稼動反対は6割近いのに、それを敵にまわすのかとか、滋賀・京都の自治体へと広がる大飯原発再稼動反対の動きとか、さらには先日来テントで囁かれているハンスト闘争をどうするかとか、話題はぐるぐる回っていく。
 ともかく、大飯原発再稼動を阻止し、5/5全原発停止を実現する、というこれからの1ヶ月あまりの課題に、テントの全精力を傾注するという気運は高まっている。
                           

★テント全体会議
 3月30日(金) 午後7時〜  スペースたんぽぽ
 ・大飯原発再稼動阻止、5/5全原発停止実現へ、1ヶ月あまりのテントの方
・テント組織体制整備について(運営委員・運営委員会・全体会議の再確定等)
 是非、たくさんの人の参加を!今、多くの創意が求められています。








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反原発への取り組みに応援を

2012/03/31 07:27


毎年8月に取り組まれる六ヶ所ピースサイクルの際には、本州の最北端・大間町で大間原発(電源開発)の建設に親子2代で土地を売らずに、原発の敷地内でがんばっておられる小笠原厚子さんという方がいらっしゃいます。
今年になって、小笠原さんの「あさこはうす」をめぐる状況が緊迫しています。
小笠原さんがSOSを発信しています。
東北電力が、「あさこはうす」への道路を封鎖するために、交通量を量り始めました。電源開発の敷地内にあるために、公道から「あさこはうす」に行くためには、かなり長い両サイド厳重な金網の砂利道があります。この道を封鎖する考えのようです。
原発震災のために苦しむ市民が多数いる中で、新規の原発建設など絶対に認められません。そこで、「あさこはうす」へ葉書を出して下さい。小笠原さんへの激励の手紙で結構です。一時的な手紙だけでなく、各地域の脱原発の行動などを知らせる案内でも結構です。継続した取り組みをお願いします。郵便車の通行も、大事なカウントになるからです。住所は下記です。知人・友人にもこの情報をお知らせください。よろしくお願いします。

〒039−4601 青森県下北郡大間町字小奥戸396 あさこはうす 
        小笠原厚子様宛
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経産省前テント広場から発信された情報34

2012/03/30 16:29

<テント日誌 3/23(金)―経産省前テントひろば195日目>
      テントの中でワークショップ「かんしょ踊り」
      雨の中、経産省前行動(4日連続行動初日)

恒例の朝の散歩に今日は一人で向かいました。日比谷公園の草花にも春の気配が感じられ、カモメ広場の噴水の水の煌めきも寒かった日とは心なしか厳しさのようなものが抜けて見ていて気持ちが良い。それでも空は雨を予感させるどんよりさが折角の散歩の気分を損ねてしまいます。朝5時、東京タワーの灯が曇天の空に輝きテントに帰る頃にはポツリポツリと降ってきてしまいました。ん?ん、残念!

今日は椎名さんの指導の元に「会津磐梯山?カンショ踊り」のワークショップが予定されていて、生憎の雨でしたが10人以上の方にお集まり頂き第二テントの中で行うことになりました。椎名さんから手ほどきを受けた後にYさんが見本となって踊ることになりましたが、Yさんは先日10日の郡山での交流会でテントの仲間と一緒になって踊っておられましたが、中でも一際明るく元気にされてました。
 ワークショップに参加された中に、「君が代起立斉唱強制」拒否で処分され、ずっと裁判闘争を続けておられる元教師グループの、シニア世代の女性達5〜6人がおられました。
ワークショップも終わりかけた頃、原子力安全委員会に参加されていた方が息を切らして帰って来られ「原子力安全委員会がたった5分で終わり、大飯の調査委員会が終了してしまった!」と興奮して伝えて下さった。
先日、私が傍聴した委員会も班目委員長の異常に早口な資料読み上げに続いて、あっ!という間に終わった事を思い出します。その時も5分位で終わってます。
雨は降り続き、憂鬱な気持ちが晴れません。

夕方からは雨の中、20名程が集まって経産省正面玄関前での抗議行動が行われました。テントひろば4日間連続行動の初日です。もちろん、今日の原子力安全委員会での説明と抗議が行われたのは言うまでもありません。
それが終了後も少し間をおいて、数人によるマイクアピールが遅くまで続いていました。

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テント日誌 番外編
3月11日(日)
『その日の空は鎮魂の色。白い涙が降っていた』part-3

それぞれの想いの中の黙祷。
朝から快晴の福島。今日は「原発いらない!311福島県民大集会」の日。その前にビッグ・アイでは「原発いらない!地球(いのち)のつどい」の2日目です。僕はと言えば『野菜カフェはもる』の模擬店のための野菜運びです。
二時間しか開けないのにも関わらず沢山の方に興味を持って頂きました。その中で人気なのは「祝島」のヒジキ。食べた方の美味しいとの評判につられて、多くの方の手に取って頂きました。あっという間に時間が過ぎて慌しく片付けを済ませ、仲間の女性と開成山球場へ向かいました。
会場に着くともう既に始まっていて「加藤登紀子」さんの歌が流れる中、福島の皆さんを探し、佐藤幸子さんと椎名千恵子さんの側に席を取ることに。

運命の14時46分。
参加者全員の黙祷。あの日のテレビで見た光景が頭を巡り、眼には熱いものが…。決し
て繰り返してはならない命の悲劇!しかし、この後に待っていた更なる悲劇にこの国は為す術を無くしたように一年経った今でも何も変わっていないのです。
 しばらく言葉にならない沈黙の中にいると僕の携帯が鳴った。元気な声で「Yさん、どこにいるの?」どんなに苦境にあっても明るさを失わない佐々木慶子さんだ!ドイツに招かれて昨日帰った彼女は二日目のイベントとして『沈黙のアピール』をされたのだけど、忙しく動き回って参加が出来なかったのでした。
慶子さんを幸子さんや千恵子さんたちの席に案内し、最後まで皆で集会に参加をしました。
集会の最後にFoEドイツのフーベルト・ヴァイガー代表による1万羽の「折鶴」の贈呈式が行われました。ドイツの方が見よう見まねで折って下さったものでしたが、これがその後に僕と関わる事になるとは思ってもいませんでしたのですが・・・。
この日の参加者が主催者より発表され、参加者は1万6千人とのことでした。
閉会後、デモ行進に移る事になりました。この頃になると少しづつ雨が落ちてきました。
参加者の都合で遠方からの参加者を先に出発させるために、福島在住者などは最後の隊列となりました。とは言っても、福島の方、若い方々。それに続く多くの方の最後に学生の隊列とこれだけでも2000名近くになる隊列でした。
福島女性たちの一隊は最初は遠慮がちではありましたが、出発前から気合が入っています。リレーアピールや歌を歌ったりの中、僕が後ろの隊列のシュプレヒコールの原稿をお借りして彼女達に手渡すと、俄然スイッチが入ったようにボルテージが上がります。福島の皆さんと若い方々の声がリンクしてこだまします。
 そしてデモの中盤に突然、主催者の方がデモの終了を宣言したのでした。その理由を皆で質すと「予定の時間になったから」と言うのです。僕がそれはおかしいのではと言うと、幸子さんが「最後までデモをさせなさい!途中で終わらせるとは何事か!」と抗議すると、警備の警官が主催者に「どうするのですか……」と弱々しく声を掛けるのでした。
女性たちの圧倒的な気配にタジタジになりモタモタしているのを横目で見ながら、「行くぞぉ?!」と声を挙げながら、そのまま進んで行くことになりました。

終着地の郡山市役所は殊更、解放区の様相を呈していて歌や太鼓・踊りながらのアピールが続き、いつまでも止みません。最後の学生の隊列が戻るとその熱気は最高潮です。若い皆さんの思いに送られるようにその場を離れ、懇親会会場へ向かうことになりました。
デモの最中は天気も大きく崩れずに済んだのは本当に良かったのですが夜になって雨、更に雪へとなってしまいました。
 懇親会と思い到着するとそこにはFoEドイツのフーベルト・ヴァイガー代表以下3名の関係者がいました。以前にお会いしたFoFジャパンの吉田さんのお顔も。一人一人自己紹介を兼ねお話をされましたが、状況の変化と共に僕自身も初めてお聞きする内容もあり、ヴァイガー氏も驚きを持って聞き入っておられました。この模様はアワープラネットの白石さんが取材されていますのでご興味のある方はお調べ下さいませ。
 ここでとても重要な事がヴァイガー氏より提案されるのですが、その事は後日に発表になることでしょう。僕もそれには大きな期待を持ってお話を聞いておりましたし、できることがあれば協力したいとも思いました。

最後に先程の「折鶴」がドイツから贈られた1万のうち5千が「子どもたちを放射能から守るネットワーク」に寄贈されることになり、そのうちの半分位を経産省前テントひろばに持ち帰り、活用されたいとの申し出がありました。
そこで僕が東京に持ち帰ることになりました。今は第二テントに置かれており、どのように活用するかを待っている状態です。
福島に行く時は幸子さんを乗せ、帰りはドイツの方の想いのこもった「贈り物」を載せ
る光栄に緊張感は増すばかりでした。
 お話が尽きぬ時間を過ごして福島市への帰路につくことになりました。しかし運転中は雪。別の緊張が僕を包むのでした。野菜を届けなければならないので「はもる」に。それを届けてから慶子さんのお宅に伺い宿泊もさせて頂きましたが、いつもの事ながら「何もしないからね」と言いつつ美味しく暖かい食事を出して頂き、感謝に絶えない想いと温まった心と身体のままグッスリと床に就きました。

                          続く      




<テント日誌 3/24(土)――経産省前テントひろば196日>
   もうすぐ原発0稼働  勝ってかぶとの緒を締めよ
   3・24一万人超の行動 テントビラは飛ぶように人々の手に

 一千万人署名達成祈願、日比谷集会。小雨模様の中「テントひろば」のビラをみんなでまく。このデザインこの群像諸人物配っていても、ユニークで強く、誇らしい。野音入り口で、呉越同舟のビラ配り。しかし、脱原発・反原発以外の集会破壊分子は、公安関係のみか。
 「今日、右翼くるよ」と公安に囁かれていたので、ビラ配りの後、テントへ戻ろうと思ったところ、「走れ! コウタロウ!」が聞こえてきた。一目だけでもあの歌手を見ておこうと会場に入り、そうこうしているうちに、たんぽぽ舎で活躍中のTさんにお会いし、いつものごとく、ご教授いただく。
 「みんなが目を背ける原子力ホロコースト論なんだけど、同志というよりは先輩がいないわけではないようなんです」「肥田舜太郎さんの一番新しい新書に、事故ならずとも、北海道・沖縄の一部を除いて、放射能被ばくによる障害、疾患者の発生率は、原発周辺で多いことは、否定できない、と書いてありますよ」「放射線や電磁波と遺伝子の関係、ちゃんと知りたいです」「アメリカの遺伝子組み換え企業の海外進出の危険性も誰かにスペースたんぽぽでやってもらわなくちゃならんかね?」などなど話しているうちに、気がついたら、デモに出てしまっていた。

[別の声]その間、デモの出発を待つ市民団体の隊列にテントのビラを4人でまく。ビラを受け取る手が次々と出てきて飛ぶようにまけていく。
一万人を超える規模と聞いても、まだまだと感じるほどに、デモなれしてしまっている。去年の同じ頃、(3・11前)大物のくまさんと同じ場所をあるいていたが、たったの20人くらい。常盤橋での解散集会もそそくさとみんなでテントに帰る。

[別の声]テントの前では、組合関係のデモが通っていくのに合わせてシュプレヒコールを共にしながらテントのビラをまく。デモ隊の中から次々と手が差し出されてこちらも飛ぶようにまけていく。その後、テントひろばの4日間連続の経産省抗議行動の2日目として、30人ほどで抗議行動。川崎や富山の人もアピール。

経産省本館前で、F代表がストレステスト批判を強い調子で演説中。受付のYさんに「右翼こなかったですか?」「右翼も左翼も邪魔しにこなかったよ」。
 頼まれ仕事をしようとしていると、一通の封筒が届いた。「くまさんへ。U.Mの署名。
合唱曲『悪魔の飽食』にこめること。松村高夫。・・・緩慢な大量虐殺! フクシマにより、人類史はこれまでとはまったく異なる段階=「緩慢なる大量虐殺」の段階に、本格的に(序曲的には広島・長崎でしたが)入ったと考えざるを得ません。・・・ 」U.Mさん、コピーほんとうにありがとうございました。
 それから椎名さん、Yさんの指導で、かんしょ踊りのレッスン。再度、三度と、経産省前抗議行動は、催される。明後日は、テントひろばも共催に名を連ねる、東電前抗議行動へ参加する。そのとき、東電管内の原発は稼働0となる。そして、日々、経産省前抗議行動は、続く。
 責任ある政府代表が、全原発の廃炉宣言をするまで、てぬかりなく、抗議行動を続ける。第2テントでは、集会後の懇親会が夜更けまで開かれた。ぬかるな! ”It had all just begun! ”(Q記)

★『ひろばー全国・全世界から 〜思い・交流・討論・共感〜』
    メール → tentohiroba@gmail.com                 
[このひろばは討論の場でもあります。意見・主張をお寄せ下さい。誠実で真剣な討論は、より深い 共感へと達するものと確信しています。意見交流のために可能ならばメールアドレスを付記してい ただければ・・・との声も届いています。]

◎『原発いらない』Tシャツ、何も考えてない人たちもファッション感覚でみんな着たくなるようなやつつくって売り出したらどうかな!   (S・A)
→神奈川の人達は早くからTシャツアクション(1文字ずつ書いた揃いのTシャツで1列に並ぶとメッセージになる。街中でも簡単にデモンストレーションになる。)とか、「さよなら原発」と書かれた簡単なバッグを作成販売されています。このバッグは大変好評で、とても広がっています。3・10の郡山の会場でも販売されていました。(テント日誌担当者)
◎撤去されそうになったら15分で駆けつけます。twitterで呼んでね。
◎はじめまして。「原発とめよう群馬」メンバーの秋本と申します。明日テントひろばの皆さんに  お会いしたいと思います。何か差し入れをしたいと思いますが、何か必要なものはありますか?
◎【必見】オーストリア・ツヴェンテンドルフ原発・・・一度も稼動しなかったので《内部を360度パノラマで見られる・貴重な映像》オーストリアのツヴェンテンドルフ(Zwentendorf) 原発は1972年にマーク1型沸騰水型原子炉を持つ原子力発電所として建設が開始されましたが、1978年の国民投票で稼動をしないことになり、一度も動かさず。 この原発の内部を詳しく見ることのできるページです 。《後半の方ジャングル必見です》 ・・・
http://zwentendorf.com/Tour_AkwZwentendorf/tour_AKW_Zwentendorf.html





<テント日誌3/25(日)――経産省前テントひろば197日目>
 経産省前4日間連続抗議行動と「東電管内原発ゼロ前夜祭」

 今日は、東電管内の原発が全機が止まる記念すべき日の前夜祭。前日には、「再稼働を許さないさようなら原発1000万人アクション」が東京・日比谷、柏崎刈谷原発がある新潟、泊原発がある北海道で同時開催された。デモ参加人数は主催者発表で、日比谷が9000人、新潟600人、北海道1500人、あいにくの天気だったが、再稼働に反対する多くの人達が抗議の意思を表すために、デモに参加された。
 今日も前日に引き続き、全国各地で原発の再稼働反対を訴える集会・デモの開催が予定されている。東京は朝から良い天気。東京では、二日続けてのデモとなるが、大飯原発のインチキストレスと安全委員会による不当な「妥当」という見解に抗議の意思を明確に示すためにも多くの人に参加してもらいたい。
私は、テントひろば主催で金曜日から始まった「4日間連続抗議行動」の3日目が、16時から経産省前で行われる予定になっていたために、デモには参加せず、宿泊当番の準備をして霞ヶ関へ向かった。16時に経産省前に着くと、すでに15名くらいの方が集まっていて、ちょうど集会が始まるところだった。司会のYさんの話では、東京の集会とほぼ同時刻に大飯原発の前でも経産省前テントひろば、たんぽぽ舎のメンバーも参加している抗議集会が開催されているという。
 前日の「再稼働を許さないさようなら原発1000万人アクション」に引き続いて、全国各地で再稼働に反対をする声が上がり、抗議行動が連動して行われている事を実感する。  集会の冒頭に、司会のYさんからこの日の朝日新聞の朝刊に掲載された「大飯原発の地元の福井県で原発の安全性を審議する福井県原子力安全専門委員会の委員12人のうち、4人が2006〜10年度に関西電力の関連団体から計790万円、1人が電力会社と原発メーカーから計700万円の寄付を受けていた」というニュース(http://www.asahi.com/national/update/0325/OSK201203240241.html?ref=rss&utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter
)が紹介された。記事によると、金銭を受け取った5人の委員はいずれも安全性評価への寄付の影響を否定しているとの事だが、(「そりゃ、そうだろ。泥棒は、私は泥棒ですとは言わない。」)大飯原発3、4号機の再稼働について福井県は、県原子力委に助言を求める見通しらしい。
私から言わせてもらえば、「大飯も伊方も最初から『再稼働ありき』の出来レース。全くインチキのストレステストを無責任な安全委員会を使って『妥当』と評価させ、業界とズブスブな地元の安全委員会に追認させた上で地元了承をとり、最終的に政府が『政治判断』というマジカルワードを使って再稼働するというシナリオ。
おそらく、大飯・伊方以外の原発も全く同じ構造で再稼働させる気なのでしょう。」地元住民の方々は、自分達の安全を無視して再稼働の話が進められるこのような状況をどのように受け止められるのでしょうか?福島第一の事故があったにも関わらず、利権を守るために国民の安全を無視する形で産官業学が一体となって、なりふり構わず、再稼働しようとしている事に、我々国民は怒り、今こそ反対の声を上げるべきだと思う。
この日の霞ヶ関界隈は日曜日という事もあり、人通りは少なく、経産省の建物も灯りがついている部屋は、数えるほどしか無かったが、それでも、抗議に集まった約20人の市民が、順番にマイクを握り、休日出勤している経産省の官僚に対し、それぞれの言葉で、原発の再稼働を止めるように訴えた。彼らの心に我々の声が届き、今までのやり方を見直し、原発を止めるために行動を起こしてもらう事を切に期待をしたい。 抗議行動に合わせて、テントには多くの方が来て下さり、抗議集会の後は、第1テント、第2テントの中で、それぞれ遅くまで話に花が咲いていた。私は第2テントの話の輪の中に加わった。
 その中で、TPPと法律改正の話から、大店法の話と小規模小売業の話になり、福島出身のTさんが、「国や自治体が助成をして、地域のシャッター通りに福島から避難してきた自営業者の人に住んでもらい、商売をしてもらえば、活性化にもつながると思う」という話をしていた。縦割で仕事をする役人だけでは決して出てこない素晴らしいアイディア。なんとか、このような良いアイディアを実現出来ないかと思う。立場が違う人達が色々な事について、真面目に話をすることで、良いアイディアが生まれる。様々な人が集まり、忌憚なく意見を交換出来る場所という「テント」の良さを実感した。

11時にお開きになり、見張り番のローテーションを決め、この日もKさんと一緒に深夜の時間帯の見張り番を担当する。お彼岸を過ぎてもまだまだ夜の寒さは厳しい。3時までの見張り番を終え4時間ほど睡眠して、朝7時に目が覚める。テントの外に出ると、テント入口のところのポールに「脱原発まで後1機」という小さなメッセージが張られていた。25日の深夜23時59分に東電管内で唯一稼働していた柏崎刈谷6号機が定期点検のため、運転を停止したという事だ。1年かけてやっとここまで来た。現在稼働している原子力発電所は、全54機中、北海道泊原発3号機のみ。
 泊原発も5月5日に停止の予定という事。原発全機停止を実現し、同時に、国民の安全を無視して進められようとしている大飯原発・伊方原発の再稼働へ向けての実態を多くの人達に知ってもらい、国民の手で再稼働を阻止し、本来取り組むべき、福島への賠償、子供達を放射能から守る施策を一刻も早く実現出来るよう、これからも声を上げていきたい。               




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経産省前テント広場から発信された情報33

2012/03/30 10:11

<テント日誌 3/19(月)――経産省前テントひろば191日目>
    経産省前抗議行動  再稼動を許さない!の声高く
    青森と宮崎から―人々が出会うテントひろば

3月19日(月) 昨日の雨模様はすっかり晴れ上がる。太陽の角度が高くなったのか、日中テント前に日の射す範囲が広くなってきた。

今日の原子力安全委員会はテントからも6人ほど傍聴に行ったが、5分で終わったとか。尚報道関係者には、安全委の4月以降の存続、班目の続投が表明されたらしい。
 夕刻からは保安院で伊方3号機のストレステストに関する意見聴取会が開催される。どんなに問題点が指摘されても保安院は妥当との審査書を出すようだ。
 5時半から経産省正門前での、再稼動を許さない!という抗議行動が行われる。正門前に並ぶ人の数は時間と共に増えていく。キャンドルが夕闇に怒りの灯を映し出す。6時半に70名を超えたところで、次の予定で移動するが、そのあと、たまたま「右からの脱原発デモ」が通りかかり、その人達も暫く合流して120〜130名にも達したらしい。
 夜、3・11アクション実行委員会の会議に参加する。3・11ふくしまー東京を両輪とする行動の大成功を踏まえて、今後の闘いも議論となる。さしあたり、3・25福井現地集会への参加、3・26東電前行動、4・11日比谷集会→関電・経産省→国会請願願のデモが確認・決定される。
 テントに戻ると、いわき市在住の女性が来訪していて、いわき市の人達と双葉郡から避難してきている人達との間の関係の問題点などにも話が及ぶ。東電による分断策の匂い。
翌朝、今日は祝日。いつもは起きてすぐ仕事に出て行くメンバー達も、今日はまだテントにいて、ちょっと違った雰囲気が感じられる。すると、宮崎と青森から来訪者があり、首都圏・いわき・宮崎・青森のお互い初対面の者が一堂に会して、いかにもテントひろば、といった趣き。これがテントひろばなのだ!
 宮崎の方は長年九電で働いておられて、労働運動では全九電(旧電産系の少数派組合)〜九電労内での反対派として闘ってこられ、そして20年間反原発の活動をされているそうである。やはり、3・11以降職場の雰囲気は変わりつつあるそうだ。電力総連申し入れ行動について話すと、そういう追及は常にしていくべき事だと仰っていた。
 椎名さんから連絡があって、3・23,24と、テントひろばでワークショップ;かんしょ踊りをすることになったとのことである。23日(金)は午後2時から、24日(土)は午後3時からである。3・10の文化と交流の集いを思い返しながら、多くの人々の参加を!

★3/23〜26のテントひろば4日間連続行動
23日(金) 午後2時〜     ワークショップ;かんしょ踊り
       午後6時〜7時 経産省前行動(当日は、その前段で緊急会議による関電支 社への抗議申し入れ行動)
24日(土)午後3時〜 ワークショップ;かんしょ踊り
      午後4時〜5時 経産省前行動(当日はその前段で1000万人署名集約集会;日比谷野音テントビラ配布活動・・・→デモ)
25日(日)午後4時〜5時 経産省前行動・福井の現地集会に呼応
26日(月)午後6時〜7時 経産省前行動 (当日はその後、柏崎刈羽6号機停止=東 電管内全原発停止での東電前行動に合流(午後7時)

★『ひろばー全国・全世界から 〜思い・交流・討論・共感〜』
(郵便は〒100−0013 東京都千代田区霞が関1−3−1 経産省前テントひろば
  メールは tentohiroba@gmail.com へお送り下さい

◎テントひろばには、たまにしか参加できませんが、いつも応援しています。
  寒い中、また雨の降る中、皆様、本当にありがとうございます。
本日(19日)の東京新聞25面「デスクメモ」に、しびれる記事が
掲載されていますので転用させていただきます。 (G・Y)
@@@
経済産業省の隅に脱原発テント村がある。ここには高齢者が少なくない。
時折、血気盛んな街宣車の若者が「出ていけ」と騒ぎに来る。
若いテント住人はムキになるが、老人はそれを制して「フフ」とほほえむ。
その不敵さにしびれる。乾いた格好良さ。……そんな年寄りに私もなりたい。





<テント日誌3/20(火・祝)――経産省前テントひろば192日目>
         春一番はどうしたのだろう  
         23日〜26日の連続行動に参加を!

さすがに「春分の日」である。日中は春を思わせる日差しだ(?) というよりもう春なのであるから春らしい陽気を感ずる日が少ないのが異様なのである。「暑さ寒さ」も彼岸までというが今日はそのお彼岸さんなのである。夜には結構風が強くてテントは大変だ。冷たい風に心身も冷えるがテントが風に晒されると気が気ではない。
そういえば、今年の「春一番」はどうしたのだろうか。今年は春一番がなかったということだろうか。テントを強風にさらすことを避けたというのはうがち過ぎだから、これも異変なのだろうか。(この原稿を書いているのは3月21日だが、今日の朝日新聞の朝刊には「春一番吹かずじまい」という記事が出ていた)。

午後に大学時代の友人たちがテントを訪問してくれた。10数人で中大大学等の面々で主に「Cの会」というグループの人たちである。筆者もここに属しているがかつての学生運動の仲間である。それぞれの地域などで脱原発の運動をやっている人もいるが、テント前で交流会をやるのもうれしいものである。筆者はこの後に新橋で開かれた懇親会にでるために夕方までテントを離れるが、懇親会での話題はいつもと違って原発のことが話題になった。
この会に集まるは60年代の学生運動や反戦運動に関わった人たちであるが、この時代には核兵器や核実験のことが政治課題になったが原発問題は登場してはいなかった。核の利用という考えが支配的であったのだ。この会でも一番の年配の人は戦後の日本の科学者の核の平和利用についての考えの膨大な資料を見せてくれた。これを早い時期にテントでも配り検討してみたいと思う。

途中から加わったある出版社の人からは今話題の『原発危機と東大語法』(安富歩)を頂いた。脱原発の運動が長期になることは不可避であるが、原発の存在の社会性の認識が深められることが必要である。上記の戦後の科学者たちの核についての認識の歴史を知ることもその一つだが、原子力ムラ影響力の強かった東大の学者たちの関わりを知ることも重要である。脱原発の運動の裾野の広がりがテントを媒介にしてこんな風に実感できるのもいいことだ。機会がればテントでの談話会のようなものができたらいいと思う。
テントには未知の人たちとの出会いの媒介になっているが、こうしたむかしからの知り合いが現在の問題でこうして出会えるのもいいことだ。三鷹で行われた地域アクションの報告と差し入れを持ってきて来ていただいた人もいる。これはほんの一例だが各地域での運動の報告はある。脱原発運動の重層的展開の中で媒介的役割をテントが果たせれば嬉しい。連絡し交流をしてもらいた。

 テントには少し遅くなって戻った。ここのところ在特会や街宣右翼のテント攻撃もあり、我々は心理的には緊張が続いているが経産省などの動きはどうなのだろうか。原子力安全・保安院(経産省)や原子力安全委員会(内閣府)が廃止され原子力規制庁になることは決まっているが、この原子力規制庁の発足は遅れている。
この間、現行体制で再稼働の手続きを進めるらしい。福島第一原発事故でもまともな対応ができず、失態を重ねてきた現行体制であるが、ここで政府に再稼働のお墨付きを与えるストレステストの評価(合格評)を原子力安全・保安院が出し、原子力安全委員会で確認書という手続きは進めている。

これで再稼働の手続きをということらしいが、僕らは彼らの動きを見て対抗して行かなければならない。先日の19日も経産省前では抗議の声が鳴り響いていたが、3月23日(金)から26日日までの連続した行動が重要になる。テントの中では週末の行動のことが話題になった。大飯原発の現地集会にも参加したいという声も強かったが…。



<テント日誌 3/21(水)――経産省前テントひろば193日目>
     風は強いが、平穏な一日
     福島放送局の取材

朝からひさしぶりに晴天だったが、テントに吹き付ける北風が強く、テントの幕に風の力が押してきて椅子が倒される程だった。昼過ぎから急に南風となりテントの屋根があおられる等、外の椅子による座り込みがほとんどできない状態だった。春一番のかわりか、遅れてきたのかというところだろうか。

午前中にNHKの福島放送局の仲沢記者が来訪した。彼の話ではNHKの記者は未だ誰もテントに来ていないので私が行くと申し出たとのことだった。約二時間位テントの半年の出来事を話すと時々メモをとるほど熱心な取材だった。日中は訪問者も時々訪れ署名とカンパをして頂くがありがたい限りである。

午後4時から「ふなしん出資金還元訴訟団」の垣内さんが訪れ、矢次ぎ早に訴訟の経緯と財務省が関わっている金融政策の不当の説明をうける。が、資料を預かるのが精一杯だった。この日は一日を通して良き来訪者であった。特筆すべき事件はなかった。こんな日が続くことを望む。   (M/T)


★『ひろばー全国・全世界から 〜思い・交流・討論・共感〜』
(郵便は〒100−0013 東京都千代田区霞が関1−3−1 経産省前テントひろば
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[このひろばは討論の場でもあります。意見・考えをお寄せ下さい。誠実で真剣な討論は、より深い共感へと達するものと確信しています。ただし、長文は掲載できなくなってしまいますのでお控え下さい。]


◎はじめまして いつもたんぽぽ通信を拝見しています。
 伊達政保さんのレポートは主張があり、業務連絡だけでなく、こういう文もあると良い。
 パクホーさんはずいぶん前から反原発を歌っているらしいですね。
 それにけちを付けるとは、「にわか反原発」もむべなるかな…
 また『原発いらない!地球(いのち)の集い』で、椎名さんという福島の方が「イムジン河」の福島バージョンを歌われたとのこと、私もイムジン河の替え歌を考えていたので、さすがだなぁと思いました。原発であれ、戦争であれ、「故郷を追われた〈ディアスポラ〉である点は同じ。
 これからは、そんな視点も必要になってくるのかもしれない。
「原発のことしか考えれない」東京のデモは、今後の被災地とつながれるのか?
 石原ジュニアに「反原発デモはヒステリー」と言われて悔しいけど、たしかにそういう所もあった。
 もちろん「正しいヒステリー」だったわけだけど、ヒステリーでは原発利権屋には勝てない。
先日、原水禁運動の分裂について少し学習したけど、あのトラウマがいろんな形を通じて、現在まで引き継がれているのかもしれない。
 しかし共産党が米軍基地の話とか持ち出したのは、分裂工作を正当化するためであって、「基地の話が入ってきたから分裂した」わけではないように見えるけど。原因と結果を取り違えてはいけないと思う。「組織エゴイズム」が悪いのであって、「原爆以外のテーマ」はその口実にすぎなかったのでは?
 もしも原水禁が「私たちは原爆を問題にしてるのだ、原発のことを持ち込むな!」と言ったら、こいつらアホかと思われるだろう。
 しかし反原発の方には、しばしばそんな人がいるわけだ。
なぜなら、現在の日本の脱原発活動は、「自分と家族が被曝したくない」というエゴイズムを原動力としているからそれは「正しいエゴイズム」であるし、私もそのエゴイズムを持っている。
しかしエゴイズムだけでは他者とつながることができない。
放射能パニックと群集心理だけに頼っていては、長続きしないし、広がりもない。
対照的に、原発利権集団は、ビジネスや軍事、学問政治、外交らがベストミックスされている。
 「東洋経済」の記事はその点で興味深かったのだが…
長文失礼しました   




<テント日誌 3/22(木)―――経産省前テントひろば194日目>
     原発労働者からの問題提起を受けとめて
     
3月22日(木) 晴れ 気温も上がり、もう春の陽気である。
テントに行くと、福島原発に作業員として入っているK君がいた。
彼は先日、アメリカの廃炉化を控えている原発のある州での、TVシンポジウムに出演し、公然化したばかりで、福島原発の現場ではシビアな状態に置かれているそうだ。
 それだけではなく、やはり被曝の状態について気がかりである。先日も、福島原発で作業員として働いていた労働者が白血病だか、心筋梗塞だかで亡くなったという報をどこかで見た。
 その彼が言うには、除染作業というのはある場合には、原発現場の作業よりも多くの被曝をするのだという。そういう作業に特別知識も訓練もない人達が、まともな防護策もなく駆り立てられているのを見ると、たまらないという。
 その場にいた者達との間で、原発労働者・被曝労働から見た原発問題及び反原発運動ということが話題となった。彼が強調したのは、原発問題は差別・貧困ということと切り離し得ないということであった。この差別ということには、地域的な問題と、階級的・階層的な問題があり、それが重なり合うところに原発があるということであった。
前者は東京−首都圏と、東北−福島との間の一種の植民地的構造であり、後者は非正規労働〜移住労働者・在日・部落・寄せ場・野宿者等様々な差別と貧困の構造であり、その重なりの中に、幾重もの下請け構造の底辺で最も多くの被曝に晒される最も非人間的な労働として被曝労働があり、それによって原発が成り立っているということであった。
 どうにも処理することのできない核廃棄物と被曝労働、原発は絶えずそれを生み続ける。
東京における反原発運動が、どれほどこのことを内在化しえているか、というのが彼の問いであった。それを言い残して彼は、福島原発へと帰って行った。

 夜、テント前では4〜5人の若者達のライヴが行われている。脱原発〜3・11霞ヶ関の真ん中で愛を叫ぶ〜 というライヴだそうだ。テントの中では運営会議が行われていたが、それが終わる頃ライヴも終わり、第1テントの中は溢れんばかり。
 原子力安全委員会や野田政権の動向や、明日からの連続行動を話題にしながら夜は更けていく。




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経産省前テント広場から発信された情報32

2012/03/30 09:51
<テント日誌 3/16(金)――経産省前テントひろば 188日目>
    米国ヴァーモント州からメッセージキルトを持参
    テントでの上映会 『We 命尽きるまで』『みなまた 海のこえ』

3月16日(金)晴れ。
 映画会の準備にテントに到着すると、福島第一原発と同じマークT型の原子炉の廃炉をめぐる攻防の最中にある米国ヴァーモント州から、77人の手書きメッセージを縫い合わせたキルトを持参して来訪されていた。
また渋谷のアップリンクという映画館(先週、『プリピャチ』上映のアフタートークに佐藤幸子さんが出演した折り、テントひろばのリーフをチラシ置き場に置かせてもらえるようお願いした)で、その素敵なイラストのリーフレットを見てきたという広島の大学の先生、これからテントのローテを支えようとしている方などが来訪されていて、話が盛り上がっていた。
 バッテリーの具合も良くないらしいということで、早めからバタバタと映画会の設営と準備。
同時に明日の「福島と世界をつなぐテントひろば応援の集い」の資料準備で郵政省のコピーやさんへ。コピーの調子も悪く手間取り、結局配布しようかと思った椎名さんの山里刻(やまざととけい)の記事は、回覧することに。(カラー写真も多く、また脱原発でエコじゃないのはオカシイという思いがあり、印刷物を減らしたいということで。)

 米国ヴァーモント州から福島へのメッセージキルトの和訳もそのまま配布したいのですが、以下、77人のメッセージのうち一紹介ということで。
1.私たちは、みんな、あなたひとつ。原発のない地球を。
2.生きて、証人となって下さい。勇気を持って抵抗して下さい。あなたが必要です。
3.”木々は、地球が空を背景に書いた詩である。人間は、紙をつくるために木を切る。自分たちのむなしさの記録を残せるようにと。”(インディアン)
4.家族一同より、会い、平和、幸福をお祈りしています。(8歳)
5.これから一生、この地球上からの核廃絶を目指して運動していくことを約束します。
  そして、あなたの子ども達が幸せに暮らしていけるように。

 17日の「福島と世界をつなぐ経産省前テントひろば応援の集い」にはキルトをお借りして77人の和訳分とともに参加者にお披露目したいと思います。

 とつきとおかのテントひろば行動のイベントとして取り組んだ藤山顕一郎監督作品の映画会は、日が暮れてから10数名の仲間が集まり、『We 命尽きるまで』をわいわいと、経産省前テントひろばを作り支えてきている面々の5年前の姿に湧きながら堪能しました。
 2007年6月15日、東京・日比谷野音での1200人の全学連・全共闘・学生運動OBたちが「9条改憲阻止」の一念の下に、40年ぶりに党派を超えて一堂に会した奇跡の集会を軸に、そこに至る経過、過去の映像などが盛り込まれた興味深い作品。「こういうことがあってテントはできたのだ」ということが伺えます。まさに脱原発テントの原点!
 後で40代の女性が「私もあの場に行って、あの赤いたすきを掛けて、一緒にシュプレしたかった」って。その発言に一同再び感激!上映して良かった!

 『みなまた 海のこえ』 同名絵本の映像化、スクリーンで観るとあの美しい色彩が一層鮮やかに輝きを増します。丸木俊・丸木伊里さんの「絵」、石牟礼道子さんの「詩」の朗読がチッソ本社座り込み闘争のリーダー川本さんのお嬢さんというのも感無量。水俣と福島には共通点がると言われます。公害も放射能も防ごうと思えば防ぐことができたのに、事実が隠蔽されて被害が拡大した。被害の繰り返しは許されない。

 上映後、プロデューサーや椎名さんも囲み、予定時間をオーバーして語り合い、また上映会をという声が上がりました。テントひろばでの上映が原発シングルイッシュー限定でなければならない、というのはおかしいのでは・・・というのが、大方の意見。
 「襤褸の旗」が観たいという声がありました。福島からの「押し出し」が成就することを支えていきたいという思いでの意見です。
         



<テント日誌 3/17(土)――経産省前テントひろば>
  意義深かった第2回「福島と世界をつなぐ―テントひろば応援の集い」
  3・10『原発いらない!地球(いのち)の集い』を手伝って・・・

今日は朝から雨が降っています。雨はテントにとっては嫌なものだけど、心なしか春の予感を感じさせる雨でもあります。三寒四温!これから一進一退しながら暖かくなっていくのだろう。
それでも東北ではまだまだ寒い日が・・・。被災者の、そして避難者の寒さへのご苦労が続くのはいつまでなのだろうと思わずにはいられない。国や東電の補償がしっかり行われていなければならないのは勿論ですが、赤十字を筆頭に相当数集まった寄付金はどうなってるだろうか?
被災者や被災地にどれだけ届いているのだろうか?先日、福島に行って改めて思うのは一年経っても何も進んでいないとの実感です。むしろ時間が経ったための無力感が県民の方の前進力を奪っていないか心配されます…。
 今日は経産省側から敷地内の「樹木」の剪定の意向のあった日ですが、流石に雨に中の作業は避けたのか、その気配は全くありませんでした。
 夜はスペースたんぽぽで第2回「福島と世界をつなぐ―テントひろば応援の集い」がありました。
ヴァーモント州からのメセージキルトを前に飾った会場で、たくさんの現実を映し出しながらたくさんの問題提起をしているDVDを観た後、椎名さんのお話でしたが、椎名さんの仕切りによる福島への想いや3・10−11の感想会となり、東京の行動も含めて、3・10−11が創り出し、訴えかけたものをみんなでイメージし、共有しあうという意義深いものになりました。その後の交流会も活発に。 

テント日誌 番外編(3/10テント日誌の続き)
  『その日の空は鎮魂の色。白い涙が降っていた』part-2
   その時、テントひろばの仲間も踊った!

3月10日(土)
さあ、いよいよ『原発いらない!地球(いのち)の集い』の当日となりました。
昨日の雨は深夜になって雪になってしまい「暖かいから、雪にならずに雨だね」等と話していたのが嘘のような銀世界です。
高速道路を郡山に向かうと、南の空は真っ白な幕に覆われたように白く鈍く輝き、時折強く風に巻いながら雪がフロントガラスを打ち付ける。まるでそれは「白い涙」のように・・・。
去年の今日、あのような悲劇が待っていると誰が思っただろう。
ひと時、感傷に耽っていると郡山はもうすぐそこに。雪も小降りになった頃、会場の「ビッグ-アイ」に到着です。
到着すればもう仕事モード、一気に会場設営です。が、一体何処から荷物を上げていいのか・・・。あちらこちらをウロウロしていると、さすがのQ氏も殺気立って会場の警備員とやり取りを。
この会場は市営のためか、一々言う事がお役所仕事。
まずは荷物を会場階まで上げて一安心。その後はあちらこちらのお手伝いをさせて頂きました。開演前であるにもかかわらず、続々とお客様が到着です。テントひろばのお仲間も元気な顔を見せて激励して下さいました。

この日のプログラムは他の方の情報などを参考にして頂きたいのですが、一番の白眉であったのは「交流会」でした。
その模様は是非ともこちら
http://www.ustream.tv/recorded/21004262
からご覧下さい。

毎日の不安や心配事などの披露や各人の活動内容の報告の合間にフラダンスのワークショップ、椎名さんを中心に「イムジン河」の福島バージョンの合唱。そして「会津磐梯山 かんしょ踊り」を唄い踊って参加者の一体感とこれからの連帯を強いものとしました。皆さんのお顔が眩しく嬉しい気持ちにさせて頂きました。
参加者の皆さんに感謝です。そして皆さんお疲れ様でした!

後片付けを済ませ、福島市の椎名さんのゲストハウスへ戻ると、NAZENの織田くんをはじめ若い方々が待ち受けていました。しばしお話をしながら、運動とはリーダーシップとはと自問自答せざろを得ない気持ちにさせられながら眠りにつきました。 ( 続く )
                                               
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◎脱原発東京大行進と、それに引き続く国会包囲ヒューマン・チェーン終了後、テント前 広場で在日のミュージシャン朴保のライブ。(一部略)
 朴保は20年も前から反原発に取り組んでいるミュージシャンだ。そのころ作った「もん
 じゅを止めよう」も歌われた。そして「ヒロシマ」、「傷痍軍人」と歌は次第に熱を帯びていく。その中の歌詞、「傷痍軍人、従軍慰安婦、松代大本営」は、大日本帝国に使い捨てられ、切り捨てられた朝鮮半島出身者の実態を表現しているのだ。聴衆の中から「反原発に従軍慰安婦は関係ない。関係ないものを持ち込むな」と批判が飛んだ。権力に対する批判よりも、こういうことには即座に反応する人たちがいまだ存在する。
テント村の関係者が彼の抗議に対する話し合いに彼と聴衆の輪から離れて行った。朴保は、ピースピース、表現の自由と柔らかく受け流して演奏を続けていった。オイラ昨年の大震災以降、盛り上がる脱原発、反原発の運動に参加しながら違和感を感じていたが、こういうことだったのだ。
 これまでの反原発運動は、歴史の流れとして、反戦、反核、反原発という中に存在していた。しかし、昨年の原発事故以降、主義主張を超えて脱原発、反原発で行動しようという動きが活発となり大きなうねりとなってきた。それはそれで正しいのだが、その中からそれ以外の表現を規制し排除しようという主張が表れ始めた。団体の旗は持ち込むな、団体のビラはまくな、脱原発、反原発以外の主張はするな、原発国民投票に外国人は関わるな、まさに排除の論理である。主義主張を超えて、脱原発、反原発で一致しようということは、お互いの主義主張を、賛成反対は別として、尊重しあったうえでのことではなかったのか。
 しかし一方で、自民党支持者から共産党支持者まで、おおらかに脱原発、反原発の行動を 一致して行う杉並市民の動きも出てきていることも確かだ。
 朴保の歌は、自分の拠って立つ反原発の内実を確認させてくれたような気がした。
         



<テント日誌3/18(日)――経産省前テントひろば190日目>訂正版
  一雨ごとに近づく春 飛び交う情報に対処して。
  右翼の暴力的妨害行為と、テントの原則としての非暴力

天気雨。雨が降ったり止んだりの一日でした。なかなか暖かい日になりません。とはいえもちろん厳冬期とは比べものにならないくらい過ごしやすい一日でした。一雨ごとに春が近づいているのでしょう。
日曜日で特にイベントも無く、官庁街の人通りは少ない。
昼ごろ警察車両がやってきて「右翼団体が靖国神社に集まっていて、経産省前にも来るかもしれない」とのことで、報を聞いた面々が三々五々集まってきましたが、13:00頃、警察車両は引き上げていきました。「夕方に来るかもしれない」という事でしたが結局は現れませんでした。しかし、その報を聞いて駆けつけてきた人30名ほどで、夕刻〜夜、テントは賑わってました。
右翼団体は新宿で行われた反戦デモを襲撃した模様です。車の窓ガラスを割ったり、けが人が出たり大変だったようです。テントに対する妨害とはレベルの違う暴力です。理由を問わず、暴力によるデモ妨害は恥ずべき行為であるにとどまらず、罪です。法によって罰っせられるべきものでしょう。
 そもそも暴力によるデモ妨害など、敵愾心を大きくするだけです。大音響による街宣車も逆効果でしょう。
それでも暴力にはなにか魅力があるようで、そこに囚われの身になった人のいかに多い事か。暴力は暴力を生み、拡大し続けるのでしょうか。それとも収束していくのでしょうか。
テントの原則は非暴力です。ですから、参加する私たちにはあらかじめそうした暴力を峻拒する「覚悟」が要求されるのだと思います。


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◎皆様、お疲れ様です。

  20日にパリ日本文化会館で「放射能と向き合う人間社会〜フクシマ後の
展望と課題」というシンポジウムが開催されます。
明治大学の準教授 勝田忠弘氏 以外は顔ぶれが全て日仏揃って御用学者のみです。
低線量被曝が及ぼす健康被害については、まだ解明されていないという観点からして
全くの嘘です。
放射線は全ての分野において、受けてはいけないものであり、少しでも放射線を浴び
れば健康を害するリスクがあるとされており、それは明らかです。(最低限受けても
良いという数値はありません。受けてはいけないのです。)
日仏共同でのプロパガンダシンポジウムです。
参考までに情報としてお送りさせて頂きます。

   

http://www.meiji.ac.jp/cip/info/2011/6t5h7p00000a2olj.html
http://www.meiji.ac.jp/cip/info/2011/6t5h7p00000a2olj-att/a1330503756343.pdf
http://www.meiji.ac.jp/cip/info/2011/6t5h7p00000a2olj-att/a1330503691424.pdf

   
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死刑が執行されました

2012/03/29 22:04


【抗議文】

法務大臣・小川敏夫様

        死刑廃止を求める市民の声 
          弥永健一(埼玉県) 清水早子(沖縄)
          加賀谷いそみ(秋田県)
          奥田恭子(愛媛県) 井上澄夫(埼玉県)
                         2012年3月29日

 本日、3月29日朝、あなたの命令によって、広島、東京、福岡の各拘置所で、上部康明さん、古沢友幸さん、松田康敏さんの3人の死刑囚に死刑が執行された。
昨年、2011年は1992年以来、19年ぶりに丸一年間死刑が執行されなかった。私たちはその事態を心から歓迎し、今年以降も死刑執行ゼロ年が続くことを切望していた。そして死刑廃止を求める友好団体とともに、あなたに死刑を執行しないよう申し入れる準備を続けていた。
 しかしあなたは、1年8カ月ぶりに死刑執行の再開を強行した。一気に3人もの生命(いのち)を絶ったのだ。

 死刑廃止を求めてきた私たちは、人間としての最大限の怒りをこめて、あなたの暴挙に抗議する。

 29日午前11時の記者会見であなたは「刑罰権は国民にある」とのべ、まるで国民が死刑を執行したかのように強調したが、死刑執行命令書に署名したのは執行の権限を持つあなた自身であり、署名しないという選択もあり得たのだ。実際在任中死刑を執行しなかった法相は幾人もいる。
 死刑執行を強行した自分の責任を国民一般になすりつけるあなたの卑劣な姿勢を私たちは許さない。
 あなたはまた2010年発表の政府の世論調査で、死刑容認派が85%を超えたことを執行の理由として挙げた。私たちはあなたに問いたい。「法の厳正な運用が世論調査の結果によって左右されていいのか、世論のありようにかかわらず、法の運用を理性によってのみ行なうのが法務行政ではないのか」と。

今や世界の大勢はどんどん死刑廃止の方向に向かっている。国際人権擁護団体「アムネスティ・インターナショナル」によれば、昨年死刑を執行した国は国連加盟国など198カ国のうち20カ国にとどまっている。死刑維持国は57で、10年以上死刑を執行していないケースを含めた廃止国は141カ国、すなわち世界の71%に上るのだ。
 その趨勢は世界中で人権意識が高揚し、死刑という「国家による殺人」を容認しないことが普遍的な常識になってきたことを如実に示している。
その大勢に照らしてみれば、日本がいかに人権意識の希薄な国であるかがわかろうというものだ。この国で今もなお残虐で野蛮な刑罰が容認されていることを恥じるどころか、その現実を死刑執行という国家暴力発動の根拠にする態度は国際的な糾弾の対象である。

 私たちはあなたが今回の暴挙への反省を公にし、二度と死刑を執行しないと公約することを強く要求する。そしてその意志がないならただちに法相を辞することを要求する。
 



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